与えるものが、受けとるもの
祈りやアファメーション(肯定的な宣言)を行うのは、習慣になってしまっているあなたの思考を変えるためです。
どんな行動も、精神的なものであれ、肉体的なものであれ、何度も繰り返されれば習慣となります。
怒りは侵害されたという感情から生まれます。
Debemos vivir como lo que pensamos. Por lo demás, pensamos como lo que vivimos.
自分の考えたとおりに生きなければならない。 そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう
I would rather die standing up, than live life on my knees.
跪いて生きていくくらいなら、むしろ立ち上がって死ぬ方を選ぶ
人間、生まれ方は選べませんが死に方は選べます。私は誇りを持って死にたい。
( Humans cannot choose how they are born, but they can choose how they die. I want to die honarably! )
生きるということは、ある意味で義務であり、たったひとつの重大な責務なのです。 〜中略〜しあわせは、決して目標ではないし、目標であってもならないし、 さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。 〜中略〜しあわせというものは思いがけず手に入るものにすぎず、 けっして追い求められないものであるわけですから、しあわせを得ようとすれば、 いつも失敗することになるのです。
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。 つまり私たちは生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し、 私たちに問いを提起しているからです。私たちはたえずそのときそのときに出す問い、 「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。 生きること自体、問われていることにほかなりません。 私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
人間というものは、とてつもなくびっくりするようなことでも、その意味が理解できれば、 それを生きることができるのである。が、困難なのはその意味を創造することである。
「生きる」というのには、どんな意味があるのでしょう。
いつか訪れるであろう死。
それまでに、やるべきことをやる。
その思いの強さが力になると彼らは言っていました。
それが生きるってこと?
多分、そういうことなのです。ならば私たちも、やるべきことをやるしかないのです。
Your mother is here, along with all our ancestors. As long as we remember them, they are with us. The moment we forget them, they are truly gone. お前の母さんは、ご先祖様たちと一緒に、ここにいる。覚えている限り、みんな一緒だ。忘れた瞬間、本当に、どこかに行ってしまうんだ。(rogmic訳)
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なぜだ? なぜ生命がおしい...?自分の生命......だからか!?
他人の生命ならかまわないというのか!?
だれの生命でも...生命のとうとさには変わりはないはずだぞ!!
平和を求める祈り
主よ わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところによろこびを
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから。
We are not determined by our experiences, but are self-determined by the meaning we give to them; and when we take particular experiences as the basis for our future life, we are almost certain to be misguided to some degree. Meanings are not determined by situations. We determine ourselves by the meanings we ascribe to situations.
それが可能なら運命を変える、それが不可能なら進んで運命を引き受ける、そのどちらかなのです。
即ち運命というものも存在して居って、そして人間を幸不幸にして居るには相違ないが、 個人の力というものも存在して居って、そしてまた人間を幸不幸にして居るに相違ないということに帰着するのである。 ただその間において成功者は運命の側を忘れ、失敗者は個人の力を忘れ、各(おのおの)一方に偏した観察をなして居るのである。
高い遂行能力を求められる状況には、必ず秩序が存在する。
消防士は出動するときにヘルメットをあちこち探さないし、救急隊員は車の鍵を一発で見つけるはずだ。
乱雑からは何も生まれない。机の引き出しを整理して、物置を片づけよう。
そうすれば、もうひとつ気がつくことがある。「外見は内面を映しだす」
周囲の環境はあなたの思考の鏡なのだ。家の中が散らかっている人は、人生も散らかっている。
覚醒は、自分が催眠状態であることを知るところから始まります。まず、 自分は自己イメージとはまるっきり違う人間なのではないかと疑ってかかる必要があります。
過去は変えられない。だが未来は書き換えられるんだ。今からでも遅くはないんだぜ。
You can’t change the past, but you can change the future. It’s not too late.
貧富の差がでてくる理由はここにある。すなわち、金持ちとは、他人により優れた価値ある — 需要のある — サービスを提供できる人のことなのである。
超越者は思考のあらゆるカテゴリーを超越している。存在と非存在---それがカテゴリーです。 「神」という語は本来あらゆる思考を超えたものを意味していたはずなのに、 「神」という語そのものが思考の対象になってしまっている。
否定的感情に破滅させられないためには、否定的感情を意識する必要がある
誰でも機械的な訓練は嫌いである。退屈で即効性がなく、具体的な成果が見えない。 音楽家も、スポーツ選手も、どの分野の達人も機械的な基礎鍛錬の重要性を強調しながらも、 やはりそれは辛いもの嫌なものであると言う。然し、忘れてならないのは、凡そ一流と認められた人物で 「機械的な練習から逃げ出した人は居ない」という事実である。嫌うことはあっても、逃げ出せばそれでお終いである。
If you think education is expensive, try ignorance.
教育には金がかかると思うのなら、一度、無知に努めてみたまえ
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。やってごらん
あなたが恐れることをやりなさい。そうすれば恐れは確実に消えます。
実は、顕在意識の役割はたった二つしかない---それは、問題を見つけることと、目標を設定することだ。
意識の正しい使い方を心得ている人は、この二つのためだけに顕在意識を使っている。つまり、問題を見つけ、 目標を決めたら、すぐに顕在意識を使うことを放棄するのだ。
神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ
そしてもう一つ、その構成要素の最小の単位として「宇宙素子(コスミック素子)」を想定していることである。原子よりも、電子よりも、素粒子よりも小さな単位ということは、もうそれは粒子ではなく、限りなくゼロに近い一種の"場"のようなもの、形をもたないエネルギーである。
自殺はけっして、なんらかの問題に対する答えではないのです。
存在はいつも、言葉より決定的だ。
君がやったのは”ヘマ”じゃない。”経験による学び”なんだ。
売れないのは売っていないからだ。〜中略〜
お客に買う理由をまったく伝えていないということは、売っていないのと同じだ。
〜中略〜すなわちお客から見て「これは私にとってどんな価値ある〈意味合い〉を持つのか」
がわかれば、お客は欲しくなる。それは自分にとって必要なものだからだ。
情念の雄弁は、ほとんどつねにわたしたちを欺く。わたしの言う情念の雄弁とは、 わたしたちの肉体が休息しているか疲労しているか、興奮しているか衰弱しているかに応じて、 想像力が展開する、悲しくあるいは陽気な、輝かしくあるいは沈痛な、 あの変幻きわまりない幻影のことである。情念の雄弁に出会うときは、当然のことながらわたしたちは、 しばしばささいな取るに足りない真の原因を見抜いて、これを修正することをしないで、 物事や自分の仲間を避難するものである。
You are a Winner when what you think, how you feel, and what you do-are nearly consistent.
Women are constantly trying to commit suicide for love, but generally they take care not to succeed. It's generally a gesture to arouse pity or terror in their lover
人格の強さとは、決心の意気込みが冷めたずっと後まで、それを貫く厳しさである。
人生はトランプのようなもので、いつでも良い手が回ってくるとは限りません。 どんな手が来てもそれなりに勝負しなくてはならないのです。 人生で何が起こるかというよりも、人生で起こることをどう受けとめるかが大事なのです。
Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself.
病気になったり、事故に遭ったり、経営につらいものが生じてきたりすると、必ず電話をかけてくる人がいます。 そして、「これにはどういう意味があるんですか」と必ずその意味を聞こうとします。でも、意味なんてない。 目の前にあるものをただ黙って受け入れて、愚痴や泣き言を言わないで淡々と笑顔で乗り越えて生きていく。 それが人生のテーマなのです。
それを「どういう意味が? どういう意味が?」といちいち聞いてくるのは、「なぜか? なぜか?」と問いかけている (否定している)ことにほかならない。否定ばかりしているのですから、何もよくはならない。
まず問いかけるのをやめましょう。そして、よく考えてみてください。
「なぜか、なぜかと問いかけている自分には、どこかに否定する気持ちがあるのではないか」と。
好きだからよくすることは誰でも出来る。嫌いな人にでもよくすることは大切だ。 それよりも嫌いというのは多く主観的な感情に基づくものだから、嫌いと感じたら、 人間には誰にでもいいところがあるものだから、それを発見し好きになるように努力することだ、 嫌いと思っているものを好きになる努力、それを先ず行わなければならぬ
人間は誰でも愛せるように、絶対無私の愛をもって接し得られるように作られている
国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びである!
政治家は五一パーセントは公に奉ずべきだ、私情というものは四九パーセントにとどめておくべきではないか! 自分のためにだけ、あらゆることをしてテンとして恥じることのない者については、これは断固排除せざるを得ない。 日本を誤らせるような行動は絶対に許せない。
It is usually not until the political leaders themselves are personally affected that necessary reforms are made.
指揮をした経験のない者は、我々の重圧を知らない…。そうだろ?
関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた。関大尉は母一人子一人の身の上で育った人だった。 一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、 人々から村八分のような扱いを受け、行商で細々と暮らし、最後は小学校の用務員に雇われて、 昭和二十八年に用務員室で寂しく亡くなったという。 「せめて行男の墓を」というのが最後の言葉だったという。
戦争が終わって村に帰ると、村の人々のわしを見る目が変わっていた。穢れたものでも見るような目で眺め、 誰もわしに近寄ろうとはしなかった。村人たちは陰でわしのことを「あいつは戦犯じゃ」と言っていた。 〜中略〜昨日まで「鬼畜米英」と言っていた連中は一転して「アメリカ万歳」「民主主義万歳」 と言っていた。村の英雄だったわしは村の疫病神になっていたのだ。
数ある麻薬の中でも、人体に一番悪いとされるものは覚醒剤であるが、 その覚醒剤を太平洋戦争時に奨励していたのは日本政府である。覚醒剤を発明したのは、 東大の長井長義教授。「突撃錠」として覚醒剤の錠剤が神風特攻隊の年端も行かぬ若者に与えられ、 勝つはずもない戦争ために死ぬことが強制されていた。軍需工場でも一〇時間以上の労働を強制し、 生産性を上げるために「猫目錠」という覚醒剤の錠剤が労働者に配られていた。
戦争とは単なる暴力や殺戮ではない。戦争とはある目的を達成するための制御された暴力だ。 戦争の目的とは、政府の決定を力によって支援することだ。
いつ、どこで、どうやって ── あるいはなぜ ── 戦うかを決めるのは、そもそも兵士の仕事ではない。 それは政治家や将軍の仕事だ。政治家は”なぜ”と”どれくらい”を決める。 将軍がそれを引き継いで、”どこで”と”いつ”と”どうやって”をおれたちに支持する。 おれたちが暴力を受け持ち、他の人々 ── いわゆる”高齢の賢者たち” ── が制御を受け持つ。
暴力、むきだしの力は、ほかのどんな要素と比べても、より多くの問題に決着をつけてきたのであり、 それに反する意見は最悪の希望的観測にすぎない。この基本的な心理を忘れた民族は、 常にみずからの命と自由でその代償を支払うことになったのだ。
デュボア先生は、「暴力でしか解決しない」とは言っていません。「暴力はより多くの歴史上の問題に 『決着』をつけてきた。そのことから目を背けるな」と言っているんです。
A man has a choice, and the choice is what makes him a man.
人には選択する能力がある。それが人を人たらしめている。
気持ちとか、心とか魂とか…大事なものは目に見えないものばっかりで、ここにあることを確認しようとすればするほど、 本当はないような気がして、けど、すぐそこに、触れるんじゃねえかと思うくらい、今、あるのがわかる。
The important things in life, like feelings, hearts, and souls, are all things you can never see. The more you try to reassure yourself that they exist, the more you feel they don't exist at all. But right now, I know for sure that they do exist. They're so close, you can almost touch them.
「魂の大部分は体の外側にある」とユングは書いています。
人間存在を身体と心とに割り切って考えた場合、どうしてもそこに取り残されるもの、あるいは、 身体と心とを統合して、一人の人間存在たらしめているもの、それがたましいである。
人間の内界と外界はときどききわめて不思議な一致を示す。これをどう説明していいのかわからないが、
ともかくきわめて不思議なことが存在するのは事実である。こんなときに、
それはたましいのはたらきだと言ってみても、たましいというものがそもそもはっきりわからないので、
不可解という点では同じことだ。
しかし、たましいというわけのわからぬ存在を、われわれの人生の出来事の背後にあるものとして考えてみると、
ずいぶん考えやすいし、人生の見方がおもしろくなってくるように思う。
人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に。
In the direction where you feel the pain, there's an exit!
痛みの感じる方向に、出口がある。
伝承は死なず、必ず蘇る。封じられた怨念は、深き業を糧に何度でも息を吹き返す。
努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
土、日の休みが消え。夏休みが消え。冬休みが消え。友達が遊んでる時に練習してた。だから今がある
努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している
私、誰よりも練習してるよ。他の子がみんな帰っても、ひとりで練習してるよ。
明治天皇が南朝を正統とみなした最大の理由は、北朝が幕府( = 武家政権 )によって擁立された朝廷であったのに対して、 南朝が天皇じしんに大義名分を見出す天皇政権であったからだろう。そして、その天皇政権の軍事クーデターを起こした後醍醐天皇に忠誠を尽くした楠木正成こそ 「忠臣」である、と好んだのである。
北朝の血を引く明治天皇がこういう南朝正統の裁断を下した背景には日露戦争の勝利によって天皇制国家の基礎が盤石になった、という意識が強くあったからだろう。
きみは、きみの望むものならなんでもなれるわけじゃない。だけどきみがなるべき人にはなれる。
バーナムにしてみれば、肯定的なものであれ否定的なものであれ、注目は自分の成功を生むための大切な材料だった。 名声、栄光、そしてパワーを切望する者にとって、最悪の結末は無視されることなのである。
よくある思いちがいに、問題のある目立ち方をするべきではない、攻撃をされるのはよろしいことではないというものがある。 これほど真実からかけ離れた考えはない。竜頭蛇尾で終わりたくないなら、せっかくの悪名を他の者に横取りされたくないなら、 注目を選り好みしてはいけない。いかなる種類の注目も、結局は自分のためになる。
自分を他の誰かと比べるってことは、自分を半分にすることだ。なぜって脳の半分は、その人物を気にすることに使われてしまう。 自分のことに使われるのは残りの半分。つまり発揮できる能力も半分になってしまうってことだ。
Man is the only creature who refuses to be what he is. --- Albert Camus
かくあるべし、とされていることを拒否できるのが人だ。
I try to treat people like I'd want them to treat me.
人からそうしてほしいと思うことを人にそうしてあげるんだ。
病は人の目を自分の内面に向けさせる。人間は成長していくためには、 外的にも内的にも仕事を成就させていかねばならない。これらはバランスを取りながら行われることもあるが、 時にどちらかに重みがかかることがある。病は内面の仕事の充実のために訪れることが多い。
本当に記憶に残る本があったら、読み返してみましょう。もっとも大切な本は、読んだ本ではなく、読み返した本なのです。
勝ちに不思議の勝ちあり。 負けに不思議の負けなし
ポリネシアのカフナ(治療師)はこう言います。 「すべての結びつきは永遠だ。絶縁しても関係が帳消しになるわけじゃない。喜びを見つけたかったら、 ほかの人たちと、そして世界との親しい関係を保ちなさい。関わりあうのをやめたと頭では思っても、 心はそんな風に思わない。かわいらしい子供と同じで、一度愛したなら、 何が起ころうとも心は永遠に愛し続ける。たとえ世界ひとつ分離れたところに暮らしていても、 完全に切り離されることは決してない。これは物理の法則であり、ポリネシアの決まりだ。 物ごとがひとつにまとまったら、そのまとまりによって物ごとは性質を変えていき、永遠にひとつになる」
私たちが「死んだら神さまになつて会おう」と約束した場所が靖国神社であり、戦後その靖国神社を国家が守らないことに対して、 納得できない人は多いと思います。国は私たちが死んだら靖国神社に祀ると約束しておいて、戦争に負けてしまったら、 靖国など知らないというのは余りにも身勝手です。国による直接の運営が難しければ、 せめて政府を代表して内閣総理大臣に八月十五日の終戦の日に堂々とお参りしてほしいものです。
最近は、靖国神社とは全く別の追悼施設をつくる、という詰まで持ち上がっていますが、これは、死んだ人間に対する裏切りであります。 靖国神社とは別の追悼施設がつくられるのであれば、私は死んでも死に切れません。
God is the love in which I forgive .
神の愛は、私の許しの中にある。
ハワイのクプナ(長老)の言葉を借りるとしましょう。「人間は三度許さなくてはならない。 まず自分自身を許すこと。完全な人間にはなれっこないのだから。次に敵を許すこと。怒りの炎は、 ひるがえって自分や家族をも焼きつくすだろう。それから、これがいちばん難しいのだが、 生活に快楽を見いだしたかったら、友人を許さなくてはならない。なぜなら親しい関係にあるがゆえに、 誤って傷つけることがあるからだ。友情の根底にあり、友情を作るもの、それが許しだ」
Jesus said, "Father, forgive them, for they don't understand what they are doing."
イエスは言いました。「父よ彼らを許してください。なぜなら、
彼らは自分たちが何をしでかしているのか判っていないのです(rogmic訳)」
I discovered that when I believed my thoughts, I suffered, but that when I didn't believe them, I didn't suffer, and that this is true for every human being. Freedom is as simple as that. I found that suffering is optional. I found a joy within me that has never disappeared, not for a single moment. That joy is in everyone, always.
思考を信じれば苦しむことになりますが、それを信じなければ苦しむことはない、ということを私は発見しました。それは人類全体にいえることです。自由とはそれほど単純なものなのです。 苦しみとは何を選択するかにかかっているのです。私は次のことも理解しました、私の中にある喜びは今まで一瞬たりとも消えたことはなかったのだ、と。 その喜びは皆さんの中にも、いつも、あるのです。(rogmic訳)
Practice does not make perfect; practice makes progress. The word progress comes from the Latin progredi, which means “to step forward.” Life is not about being perfect; it’s about having the courage to move forward, one step at a time.
明治、大正の頃は乃木の庶民人気は大変なものがあった。この人気の秘密は、乃木が殺さずに済んだ二人の息子を二〇三高地で亡くしたからだ。 乃木の権力からすれば息子を参謀本部に置くことは容易だったが、乃木はあえて最前線に出すことでこの特権を否定した。 無論、二人の息子も戦死することが判っていながらそれを望んだ。 これは一銭五厘の葉書で徴収され、それでもなお万歳と叫んで死んでいった兵士と、その家族への乃木親子の精一杯の詫びなんだ。
私がかつて、人の悪口を言った事があるか!誰か私が一度でも人の悪口を言ったのを聞いたことがあるか!私は一度もない。 男を磨くうえで、絶対的な信用をつけるうえで、欠くべからざることが“人の悪口を言わない”ことだ