![]() |
||
その後、ボクは一週間ほどイブのホテルに留まり、ロサンゼルスをあちこち観光して回った。 イブがメルスのことに触れてこなかったので、ボクも何も言わないことにした。 帰
国の前日には、アナハイム――彩香と約束したディズニーランド――に行った。彩香の意識にはあれ以来スポットを合わせることが出来なかったが、ボクの心
は、満たされていた。一人でスペースマウンテンにのり、一人で昼食を食べた。そして、ひとりでドナルドダックと握手した時には、彼女がとても喜んでいるよ
うな感じがした。フロンティアランドでは、マークトウェイン号に乗るか、コロンビア号に乗るか、迷った。蒸気船と帆船――彩香なら蒸気船だろうと思い、
マークトウェイン号に乗に乗ることにした。 船に揺られながら、そこから見えるディズニーランドの景色を楽しんだ。 メ
ルスが言っていた二〇一三年までは、確実に言葉は受け継がれ守り抜かれていかねばならない。だが、結局ボクはヤハウェの発音を思い出せなかった。というこ
とは、今回は他の誰かが、それを受け継いでいるのだろう。ならば、ボクはその発音を知っていなくてもいいのだ。いや、知らないほうが、幸せなのかもしれな
い。 よくよく考えてみると、彩香はあ
る程度、演技をしていたようにも思えてきた。最初はあれだけ色々なことに精通していたのに、後の方になればなるほど、あまり知らないような態度だった。で
も、まあそれは、ボクが自力で色々なことに気づいていけるようにとの配慮だったのだろう。それとも……? ひょっとしたら、明日急に、誰かがボクにその言葉を引き継ぎにやって来るかも知れない。 が、それならそれで別にかまわない。 と、色々なことを考えている自分が急におかしくなって、ボクは呟いた。「勘ぐりすぎだよ、も・り・お・か・く・ん」 言葉が受け継がれていった後の二〇一三年以降がどういった世界になるのかは、ボクには判らない。また、もし彼らに――アメンの薔薇たちに、それが奪われた結果の世界がどうなるのかも……。 た
だ、確かに言えることは、ボクは今この瞬間という現在意識を充実させていればいいということだ。ジョナサンは言った、過去や未来や霊在、そして現在――全
ての意識が同時進行なのだと。ということは、同時進行だからこそ、一瞬一瞬における自己の人生の選択に、重みが出てくる。与えられた命に対して、ボクはこ
の大自然に、その生かされている意味を、応えていかなければならない。昨日という日は戻ってこないし、明日という日はやって来ない。それは、昨日は今この
瞬間の結果であって、明日は今この瞬間の行方だからだ。だから、今この時こそが、すべてなのだ。それが結果として、二〇一三年に繋がっていくだけのことな
のだ。 ボクは空を仰いで、言った。「彩香、ディズニーランドって、面白いところだな」 チャイナタウンには、戻らなかった。なぜなら、もうそこにはジョナサンは居ないと判っていたからだ。 そ
れから――これは父さんも気づいていたことなんだけど――やはりジョナサンには、あのことは黙っておいて正解だったと思う。あのことは、ジョナサンが完全
に、過去意識にスポットを合わせることができた時のお楽しみにしておいた方がいい。今度、ジョナサンと逢う日には、必ず、そのことで話が盛り上がるはず
だ。その時には、きっと彩香もいて……。 彩香は気づいていなかったから、このことを知ったら、きっとビックリするだろう。 扉を閉め、イブに部屋の鍵を返す。 イブは微笑みながら受け取った。「また、LAに来るでしょ?」 「もう、戻ってこない可能性の方が高いと思うよ」ボクはバックパックを担いだ。「確率的には、イブの占いが当たるのと同じぐらいだ――八十五パーセント以上」 関西国際空港に到着すると、ボクは快速電車で天王寺まで向かった。 駅についたときには、辺りはすっかり暗くなっていた。 阿部野橋を渡りながら、さりげなく、下を見る。 アメリカに比べると、なんて狭い道路なんだろう。 こんな狭い道路に、こんなにも多くの車が走っていたんだ。 少し町並みが変わったかな? 気のせいかも知れない。 でも、一軒か二軒くらいは店が変わっているはずだ。雰囲気だけで、どこがどう変化したかは、判らないけど……。いや、変化したと思ったのは、それはきっと季節が変わろうとしているからかも知れない。 すこし肌寒い。 もうすぐ、秋が来る。 天王寺公園の前を通り抜け、交番の角を横切ってしばらく坂道を下る。 あとすこし行けば、ボクのアパートだ。 そう思うと、こんな薄汚い町が、妙に懐かしくなってきた。 大きな木が植わっている角を、曲がる。 と同時に、信じられない光景がそこにはあった。 ひざがガクガクと震え、背筋に大きなエネルギーが流れ込む。あの精神的感電に、ボクは再びおそわれた。 ボクは、両手で顔を覆った。指の隙間から、大粒の涙がこぼれ落ちる。 ボクは……。 そうだ。 「これこそ」 ボクは……この日を、待っていたのだ。 ボクには、帰る場所があった。 「奇跡だ」 ありがとう。 あ・り・が・と・う。 ボクは大いなる意識に感謝した。 アパートの前には塗装の剥げ落ちたシボレーが停まっていて、明かりのついた部屋の窓には、ウィンドウチャームが揺れていた。 ボクは、小走りに歩み始めた。 きっと彼は、部屋に入るなり、こう言うに違いない。「かけっこをするぞ、ジェド」 了 |
||
|
||
![]() |
||