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ジョナサンの体を気遣い、ボクたちは一旦現在意識界に戻って来た。 そこには小さなテントがあった。ジョナサンはメルスたちを避けるために、ここまで逃れてきたのだ。真っ赤な砂が地を舞う場所――アリゾナ砂漠にボク達は終結した。 彩香は、綾乃とアンクセナメンの意識を正常化させることによって、ある程度の時間なら現在意識界にも意識化出来るようになっていた。 ジョナサンに包帯を巻きながら「いったいどういうことなの?」彩香は、大きく目を見開く。「ちゃんと説明して」 ボクは老戦士を直視して頷くと、彩香に向きなおった。「あの頃のボクたちには、この方法しかなかったんだ」 「そうだ」戦士が、ボクの言葉を受けた。「救世主に言葉を伝えること――それが我々の使命だったのだ。これはアクナトン王の筋書きによる――周到に準備されたアメンの薔薇を欺くための大掛かりな芝居だったのだよ。こうしなければならないぐらい、当時のエジプト王朝は彼らに脅かされていたのだ」 彩香はあきれた表情で訊いた。「――って、ことは?」 ボクは、頷く。「みんな了承済みだったんだ。ツタンカーテンも、ボクも」そしてボクは、戦士に対して微笑を浮かべる。「もちろん、父さんも」 セルジオとメルが、あんぐりと口をあけ、目をパチクリさせた。 「アテンの神殿の儀式で、ヤハウェの発音を教わる寸前に、ボクはこの大掛かりな芝居の筋書きをツタンカーテンから聞いた。もちろんボクはその時、大反対した。だって、それはアンクセンパーテンさまも騙すことになるからね。それに王の生命を引き換えにしてまでも言葉を伝えるなんて、最初この話を聞いたときには、正直言って理解の域を越えていたよ。 だけど、ツタンカーテンの兄さんもそのために生命をかけたことや、この使命をヨセフから受け継いできた王たちのことを考えると、受けざるをえなくなってしまったんだ」 「そして」父さんが台詞を繋ぐ。「ワシはアメンの薔薇たちと手を組むという芝居をしたのだ。彼――ジェドにツタンカーテンから言葉を聞き出させるのでその時にはワシを王の座につけろ、と野心家を装って。案の定、彼らはワシの誘いに乗ってきた。そこからは王宮でも私邸でも芝居を通さなければならなくなった。なにしろ彼らの間者は、いたるところに居たのでな。だが、あの計算違いが起こった時には、さすがのワシも焦った」 ボクは、すこし恥じて、笑った。「ボクがツタンカーテンと遊んでいて、階段から転げ落ちて記憶を失った時だね」 「即位後のツタンカーメン王のおまえに対する心労は大変なものだったのだぞ」父さんが、ボクの背をポンと叩いた。「まあ、そのお陰で王は当初の計画より十年近くも、アメンの薔薇の魔の手を恐れることなく、生きることが出来たのだが……」 「ちょっと待って」彩香が横槍を入れた。「ジェドにヤハウェの発音を伝えたのには、どういう意味があったの?」 「このストーリーの狙いは」ボクは一呼吸置いた。「ジェドの自殺によって言葉は完全に失われてしまった、とアメンの薔薇たちを欺くことにあったんだ。そうでなければ、後のモーセのエジプト脱出は不可能だったからね。彼の使命は当時アメンの薔薇たちの腐敗政治によって奴隷として扱われていたイスラエルの民の開放と、イスラエルの地に再び言葉を持ち帰ることだった。 言葉を“神の意に叶う者”から“神の意に叶う者”へと受け継いでいき、それを来たるべきメシアに渡すことが、ボクたち――言葉を受け継いだ者が神から与えた使命だからね」 「ということは」事態の流れを飲み込み始めたジョナサンが、口を開いた。「ジェドの自殺後も言葉は失われなかった?」 「うん」ボクは首を縦に振った。「ちゃんと次の“神の意に叶う者”へと受け継いだよ」 「それって」彩香が眉をひそめた。「いつ、どこで、誰に?」 「実を言うと、アンクセナメンさまも、その時そこにいたんだ」 「私が?」彩香はアンクセナメンの意識を探りながらしばらく考え込んだ。「ひょっとして?」 ボクは、大きく頷いた。「墓の中が一番安全な場所だったんだ、父さんに言葉を伝えるには」 「あきれたわ。ツタンカーメン王もそのことはご承知だったのね、ホレンヘブ」 「おゆるしを……」 父さんは、気まずそうに頭を下げた。 「もう!」と言って、彩香はそっぽを向いた。それから、おもむろに「でも……ゆるすわ」と口に手を当てて、小さく笑う。「アメンの薔薇たちもまさか言葉が元の鞘に戻るとは思わなかったでしょうね。それにしても、お父様の筋書きには恐れ入ったわ」 父さんが、言葉を添えた。「アクナトン王は、偉大な方でした」 「ホレンヘブ殿」ジョナサンが訊いた。「言葉はそのあと、どうなったのですか?」 「代々のファラオが継承しいていき、ラメセス二世王からモーセ殿へと伝えられました」 恭しく、父さんは答えた。 「ですが、聖書の記述では、確かモーセは、当時のファラオ――ラメセス二世の長子を殺すと予言して、その通りのことを起こしているはずだ。自分の息子を殺された王が、モーセに言葉を渡したりするものだろうか?」 「確かに王子は亡くなられました。ですが、それは」父さんは剣のつかに手を置いた。「当時の流行り病が死因です。ラメセス王とモーセ殿も、アメンの薔薇たちを欺くため、念のために一芝居うったのです」 ジョナサンは満足げに微笑んだ。「それでは、アメンの薔薇たちはいつ頃自分たちが騙されていることに気づき始めたのですか?」 父さんの代わりにボクが答えた。「それは、イエスの復活を知った時からだよ。あれだけの奇蹟を行うには、ヤハウェの言葉の威力なしでは到底出来ない――言葉は失われていない、と彼らは確信したんだ」 「ということは……」ジョナサンは、震えながらボクを指差した。「イエスからヤハウェの言葉を受け継いだ者も?」 「その通り」ボクは頷いた。「マッテヤと名を変えたユダ――つまり、ボクだったんだ。復活の直後に、ボクは先生から言葉を受け取った。そもそもボクが先生を裏切るというのも芝居だったからね。当時、奇跡的な病人の治癒や死人を甦らせたりしていた先生は、その頃から既にアメンの薔薇たちに怪しまれていたから」 「じゃあ」セルジオがボクの肩にとまって落ち込んだ表情をした。「ぼくのイエスへの解釈は正しくなかったってことになるのかなあ?」 「解釈って?」 「イエス自身は、ユダが裏切ることを前提として弟子にしたって解釈したことだよ」 「ああ、あれか」ボクは、照れくさくなって頭を掻いた。「セルジオの考えは正しかったよ。確かにボクはおカネの使い込みをしていたし、一時は本当に先生を裏切ろうとも考えていたんだからね。あの頃のボクは先生が言う通りの“わざわい”だった。でも、先生が全てを承知の上でボクを愛してくれていることや、他の弟子たちも使い込みのことは気づいていたがボクの改心を気長に待っていることをペテロから聞いた時に、ボクはまさしく生まれ変わることが出来たんだ」 「でも」彩香が口をはさむ。「私たちが意識をスポットしたユダの過去意識は、裏切りを後悔していて、それからイエスがユダを許してって――少し、おかしくない?」 「あれはね」ボクはくすっと笑って「きっと、混在している意識にボクたちがスポットを合わせてしまったんだよ」 「集合意識領域寄りの方にか」 セルジオが、納得して頷いた。 「うん。彼はあまりにも有名人だからね。世間一般の人たちが聖書の記述からイメージした意識が、ユダ――つまりボクの意識に混在していたんだ。どんな小さなものであれ、意識は全ての意識界に影響を与えるからね。ましてやユダに対する世界中のイメージが意識化されれば混在もするよ。だから、あんなへんてこなユダの意識を見ちゃったんだ。後から考えると、ちょっと客観的すぎたもんなあ、あの意識は」 ボクは自分の失敗に、ふっとため息をつく。「ボクがもっと早く、この大芝居のこと思い出せばよかったんだけど……」 「話を戻すけど」探るようにセルジオは訊ねた。「ひょっとすると、あの最後の晩餐の出来事も……」 「そう。あれも全部お芝居さ。先生は絶えずパリサイやサドカイの祭司を中心としたアメンの薔薇たちに狙われていたからね。ボクが先生を金で売り飛ばす役を思いついたのはペテロだったんだ――ちょうどいいってね。他に、先生のことを三度『知らない』と言うことや、先生がつかまるとすぐさま他の弟子たちが逃げるという筋書きも、ペテロは創作したけどね。」 ジョナサンは、ため息をつくように笑い「彼はアクナトン張りの脚本家だな」と、頭に手をやった。 ボクは得意げに答えた。「ペテロは、アクナトン王の意識にスポットをあてることが出来たからね」 「ひょっとして、イエスの復活自体も……」 彩香がいぶかしんだ。 「まさか」ボクは大きく首を左右に振る。「あの出来事は事実だよ。彩香も見ただろう。先生は、生死を超越した愛そのものの人だったからね」 「君たちは……」ジョナサンが眉をひそめた。「そこまで、やる必要があったのか。自分たちの死をかけてまでも?」 ボクは静かに口を開く。「そこまで、やる必要があったんだ。先生は絶えず霊的な気づき――ショックを強調されていた。愛という完全なる覚醒意識の獲得が、神との新しい契約になることを先生は絶えず促されていた。復活という絶大的なショックを当時の人々に目の当たりにさせることが、全ての意識界に愛の波紋を広げることだと判っていたんだ。過去意識や未来意識、霊在意識が現在意識の上に成り立っている以上、現在意識へのショックによる揺さぶりが必要だったんだ。そのために、先生は人の子として現在意識の世界に現れたんだ。ヤハウェの発音が現在意識界で人から人へと伝えられていくのもそのためなんだ。弟子のボクたちは先生の復活を華やかに演出することによって、人々へのショックの度合いを強める必要があった。そのために、ボクたちは先生に弟子として選ばれたんだ。それにボクたち――自分の死をかけて言葉を伝えてきた者たちは、先生と同様に、それを――命を取り戻す権威が父から授けられているということを理解していたからね」 「そのショックによって、私たちの意識は拡張されたと言えるのかしら?」 彩香がボクに寄り添った。 「いや」ボクは彼女の手を握った。「完全に意識の拡張を行える人は、先生以来まだ誰も出てきていないようだ」 「ショックが効かなかったってことなの?」 「ちがう。ただ、時間が掛かるってことなんだ。ある程度の意識コントロールが出来始めると時間の概念とかも超越出来るんだけど、そこに至るまでは、やはりボクたちは時間に縛られている存在なんだ」 「イエス――救世主が現れた以降も言葉が伝えられているのはどうしてなの?」 「それは」ボクは彩香の瞳を見つめた。「やがて時が来て、ボクたち自身が救世主となる準備ができた時に、それを聞くためだからなんだ」 ボクがそう語り終えると、彩香はくすくすと笑いはじめた。 「どうした?」 「なんだか変なの、と思って?」 「何が?」 「淳に色々教えてもらっていることが」彼女はボクを見つめ返す。「でも、そこまで意識の拡張が出来るようになったんだから、もう大丈夫よね」 「話の途中から、ボクのことをテストしていただろう?」 ボクは彩香の額をコツいた。 「ゆるして」 あどけない微笑。その笑顔が、ボクに幼い頃のアンクセンパーテンを思い起こさせる。ボクは少しおどけて言った。「ゆるしましょう。姫さま」 ボクは彼女の額に自分の額をくっつけた。 いつの間にか、太陽は西に傾き、渓谷の長い影がボクたちを覆い始めていた。 「そろそろ」父さんが、頃合を見計らってか、空を見上げる。「戻らなければならない」 彩香が、ボクの腕の中から離れた。「いろいろと、ありがとう」 「また、逢えるよね?」 ぎこちなく、声をだした。 彩香はコクリと頷いた。 ボクはセルジオを呼んで、彼女に着いて行くように命じた。そして、メルがボクの左肩に乗った。 「ジョナサンも、お元気で……」 ジョナサンは差し俯いて彩香に手を振った。 「父さん……いつまでもお元気で」 「ああ」と言った父さんの体が、空中に浮いて徐々に消え始める。 「彩香」ボクは、ぼんやりと薄れている彼女を見あげる。「好きだ」 彼女もボクに何か言おうとした。だがその時、轟音が起こり風の流れが変わって、真っ赤な砂が激しく舞いあがった。 砂埃が目にしみて、ボクは瞳を閉じた。 再び目を開けると、彩香たちの姿は、もうそこにはなかった。 その晩、テントの前で、ボクたちはシチューを温めていた。 コトコトとナベの中に揺れるシチューの缶を、ボクはボンヤリと眺めていた。 「向こうでは、いろいろなことがあったようだな?」 ジョナサンは、鉄製のカップからアールグレイのティーバッグを取り出して、ボクに渡した。 「うん。本当に、いろいろなことがあったよ」 ボクは星空を見上げた。 「そうか……」 ジョナサンはそう言ったきり、何も語らず時々頷いていた。 ボクは胸ポケットからラッキーストライクを取り出したのだが、ケースの中のタバコを見ると、そのままフタを閉じた。「しばらく、やめてみるか」 「私も早く」ジョナサンはナベから缶を取り出した。「君のようにいろいろな意識界に行けるように、もっと努力していかねば」 ボクは、リュックから缶切りを取り出す。 「しばらくは、行けないみたいなんだ」 ポツリと呟いた。 「えっ、どういうことだい?」 驚愕するジョナサンに、ボクは両肩を上げてみせた。「あの時だけだったみたいだよ。あんなにスゴイ意識の拡張は」 「そうか……」 「でも」ボクは、缶を開け始める。「またすぐに逢えると、ボクは信じている」 シチューを食べ終えてしばらくすると、ボクはジョナサンに言った。「ボクは……まだ七番目の鍵を受け取っていないよ」 「そうだった」 ジョナサンは姿勢を正して語りだす。 「私が十二歳の頃、祖母が亡くなった。その死に際に、私は最後の鍵を受け取ったのだ」 「彼女は、一言いった」ジョナサンは少し上を見た。「私の今までの教えは、全て忘れなさい、と――。今の君になら、この意味が判るはずだ」 ジョナサンの手が、ボクの膝を掴む。 全てを忘れろ――ボクは噛みしめるようにして、心の中で何度か呟いた。 そういうことか。 「つまり」ボクは口を開いた。「それを、教えとして意識しなくなるぐらい、自分のものにしなさいってことだね。本当は――扉だけでなく――鍵も、ボクたちは、初めから自分の心の内に、持っているのだから」 「そうだ。それが“忘れる”ということだ。私はその言葉を理解するまでに、三年ぐらいかかったが……。さすがだな、淳」 ジョナサンはゆっくりと立ち上がる。そして、ボクに向かって満面の笑みを浮かべた。「おめでとう、これで卒業だ」 「ここからが」首を振りながら、ボクも立ち上がった。「教えの始まりなんだね」 ジョナサンが満足げに大きく頷く。「教えは受け継がれていく。しかるべき時に、受け継がれるべき人たちに。私は、そのしかるべき時に、君にそれを渡した。 人は必ず死ぬ――それは現在意識だけにいつまでも留まっていることは出来ない、ということだ。だが、教えという意識は受け継がれて行く――祖母から私へ、私から君に、という具合に。永遠の命とは、つまり、そういうことなんだ。やがて、君にもその時が来るだろう。その時になれば、いつ、誰に、この意識を受け継げばよいのかが、直感的に判るはずだ――誰に自分の命を受け継いでいってもらえばいいのかを。 淳、私は君と出逢えて本当に良かったと思っている。大いなる意識に、感謝している」 ジョナサンは、ボクを抱きしめた。 ボクの方こそ、感謝でいっぱいだ。 自然と涙が、瞳を潤しだす。 ボクは、幼子のように、彼の胸に顔をうずめた。 いつまでも、こうされていたかった。 テントの隙間から差し込む日の光に、ボクは起こされた。まだ眠かったが、とりあえず上半身を起こした。隣に目をやると、ジョナサンの姿はなかった。タオルケットがきちんと畳まれている。 外かな? ボクは四つんばいで、のそのそとテントから這い出た。 昨晩使った食器がきれいに洗ってある。 「そろそろ」ボクは、鼻の頭を掻いた。それからあぐらをかいて呟く。「日本に、帰ろう」 |
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