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チャイムの音とともに目が醒める。イブとメルス教授が到着したのだ。 昨日の格好のまま、ボクは洗面所に向かい、顔を洗っていいかげんな歯磨きを済ませると、彼らがいるキッチンへと向かった。 「おはよう」イブが言った。「今起きたってことがバレバレのような頭ね。髪の毛が逆立っているわ。それとも、その髪型、日本で流行っているの?」 ボクは、伸びをしながら大あくび。「まあ、そんなところだよ」 寝坊にいい加減な格好――また、ジョナサンに怒られるのではないかと心配したのだが、彼はそのことには頓着せず「全員そろったところで、早速ですが、話を聞かせてもらえますか」とメルス教授に詰め寄った。 「うむ、ワシもそのために来たんじゃからなあ。では解読できなかった携帯の文字について、話をしていこう」 教授は、アールグレイをすすった。 「ワシの友人にケント・ウィリアムというのがおってなあ。もともとはケンブリッジで考古学を教えておったのじゃが、発表する研究結果があまりにも異端すぎるとして、一九八〇年に教授職をおわれたんじゃ」 「そのウィリアム教授と彩香の携帯の文字とに関係があるのですね?」 「うむ。彼もワシと同じくエジプト史が専門だったのじゃが、一昨日、こんな書類がワシの所に送られてきた。また、ばかばかしい仮説ばかりのリポートかと思ったが、同窓のよしみで目だけは通してやることにした。じゃが、途中まで読んだときに驚くものを見つけてのう。それで、イブを通じてあんたたちに連絡をとった次第じゃ」 メルス教授は、かなり厚みのある封筒をテーブルの上に置いて、中身を取り出し、ジョナサンに手渡す。五百枚は軽く超えているだろう。 ジョナサンは表紙に目をやると、呟くように”The roses of Amen”と言った。それから、ふと、ひとり置いてきぼりになっているボクに気がつくと「《アメンの薔薇》というタイトルのリポート書類だ」と表紙を見せてくれた。 アメン――たしか彩香も電話でその言葉を口にしていた。ボクは表紙を覗き込んだ。タイトルの下には薔薇の花に巻きつくヘビの絵が描かれている。 「教授」ジョナサンは眉をひそめた。「とてもじゃありませんが、この書類全部に目を通すには時間が……」 「判っておる。携帯にあった文字のことについては、二百三十四ページを開けてみたまえ。黄色の付箋がついておるところじゃ」 ジョナサンが該当するページを開く。と同時に、驚愕の声。気になって、ボクは彼の横から書類を覗き込んだ。 「これは……!」 そこには、彩香の携帯に描かれているのと同じような文字が列記されている――アルファベットとの対応表だ。 「これは、どこの国の文字なんです?」 ジョナサンが焦った表情をうかべる。 「国の文字では、ない。古代に使われていた文字でもない」メルス教授は胸ポケットから眼鏡を取りだしてかけた。「それは、ウィリアムによると『ある秘密結社が使用している文字』ということじゃ」 「その秘密結社というのが、もしかして……」 「そう。アメンの薔薇じゃよ」 「携帯には、何と書かれてあったのですか?」 「四文字じゃ。一度、自分たちで解読してみたまえ」 ボクはテーブルの上に彩香の携帯を置く。ジョナサンと対応表で、判読不可であった囲まれている文字を探し始めた。 「最初の文字は“Y”」 「次は“H”だね」 「その次は“V”か」 「そしてまた “H”だ。Y・H・V・H――ねえ、ジョナサン、これでなんて読むの?」 ボクの質問にジョナサンは首をかしげた。 と、そこにイブが割って入ってきた。「ヤハウェ。もしくは、エホバよ」 「ヤハウェ?」 ジョナサンとボクが同時に声をあげた。どうやらジョナサンもその言葉は知らないらしい。 「ヤハウェって、あの旧約聖書に出てくるアブラハムやモーセが契約を結んだ神のことか!」 ジョナサンは叫んだ。どうやら彼は知っていたらしい。 「ヤハウェの綴りは、たしか ” Y.a.h.v.e.h” だ。それで“Y・H・V・H”でヤハウェなのか」 「いいえ。もともとはヘブライ語でヨド・ヘイ・ヴァウ・ヘイでヤハウェと仮に読んでいるだけなの。正確な発音は判らない――と、前にタブロイドか何かで読んだことがあるわ。占いをする前にもこのヨド・ヘイ・ヴァウ・ヘイという言葉を唱えるのが決まりなの――その場を浄化するためよ」 ティーカップを見つめながら、すまし顔でイブは語った。 「変なことを知っておるのう。確かに彼女の言う通りじゃ。そのことについてはウィリアムのリポートにも書いてあるが『ユダヤのラビ(高僧)でさえ、その正しい発音の仕方を知ることはできなかった』とある」 「発音ができないイコール読めない……」 「ヘブライ語はもともと二十二文字のアルフベートという子音だけで、母音を表す文字がなかったのじゃ。今ではニクダーという母音記号があるが、それ以前は子音の文字しかなかったんじゃ。このニクダーは七世紀ごろにつくられたものとされておるので、それ以前は文字を見ただけでは発音できなかったのじゃ。 ウィリアムは、ヤハウェの音訳エホバに関しては『ヘブライ語の旧約聖書を翻訳する時に学者たちが神の名であるYHVHをどう発音するのかを訊ねると、ラビたちは「我々には、その語を発することが許されていない。だから代わりに聖書のその部分では、我々は“わが主(アドナイ)”と唱えている」と答えた。そこで学者たちはYHVHとアドナイの母音であるe、o、a、という語をあわせてエホバ(Jehovah)という語に訳したのだが、古代のギリシャ語文献やヘブライ語の文法規則から推定すると、ヤーヴェもしくはヤハウェと呼ぶ方が正しいであろう』と説明しておる」 ジョナサンの通訳を聞きながら、ボクは訊いた。「どうしてみんな、そんなにいろいろなことに詳しいの?」 「全部、旧約聖書に書いてあることを話しているだけよ」イブはすこし小バカにしたように眉をひそめた。「ひょっとして、あなた、読んでないの?」 「とりあえず、ボクは仏教徒だから……」 言った後で、仏教について質問されたらどうしよう、と内心おどおどした。仏教徒とは言ったものの宗派は知らないし、お経も読めない。だが、それは取り越し苦労で、別に何の追求もなかった。 その代わり、変な突っ込みをいれられる。「また、とりあえずって言葉ね」彼女は鼻で笑った。「それはそうと、ラビと言えば学者とか知恵者たちのことでしょう。どうして、そんな彼らが神様という言葉の発音の仕方を知らなかったのかしら?」 「知らなかったと言うより、知らされていなかったのじゃよ。彼のリポートには、それは『 “神の意に叶う者”から“神の意に叶う者”へと口伝されていった』と書かれておる」 そこまで言うと、メルス教授はアールグレイのおかわりをジョナサンに頼んだ。 会話が少し中断した。 “神の意に叶う者”と聞いた刹那、ボクは、サンタモニカ・ビーチで瞑想を行っていたとき――彩香の携帯が鳴る前――に見たヴィジョンのことを思い出した。そう、エジプトの神殿で、幼き王子がボクにある言葉を授けようとするヴィジョンを、だ。そのことを口にするとイブに「今はユダヤのことのについて話しているのよ。あなたのエジプト探求記につきあっている場合じゃないの」と呆気なくつきはなされた。だが、おかわりをカップに注ぎながら、ジョナサンはボクの話を教授に通訳すると、彼は「詳しく聞かせてもらえぬか」と興味を示した。ボクは瞑想中に見たヴィジョンの話をした。 教授は腕組みをしながら、黙考。「うーむ、“生命の神の似姿”という名が“悪魔の姿容”という名に変えさせられた――かあ……」 しばらくすると「幼い王子」とつぶやいて、教授は目を閉じたまま語りだす。「おそらく、君のヴィジョンに出てきた王子は、トゥト・アンク・アメン――ツタンカーメンじゃと思われる。なぜなら、彼は王になる前は、トゥト・アンク・アテン――ツタンカーテンと名乗っておったからじゃ」 それからまた、黙々となにやら考え込む教授に、イブは「今はおじさまの大好きなエジプトの話をしている場合じゃないのよ」と苛立つ。 「いや、ユダヤの歴史を語るにはエジプトの歴史を無視しては語れん。それにウィリアムのリポートには、ちょうど彼の夢の内容に関することも書いているところがあるんじゃ。話を戻そう。トゥト・アンク・アメンとトゥト・アンク・アテンの違いがわかるか? トゥトは“似姿”とか“並ぶもの”を意味し、アンクは“生きる”や“生命”じゃ。アメンはアメン神。つまりツタンカーメンとは“アメン神の生き写し”といった名前だったのじゃよ」 この説明には、イブも驚嘆を隠せない様子だ。好奇心がうずきだしたのか「おじさま、ではトゥト・アンク・アテンではどういった意味になるの?」と急かす。 「アテンは太陽や絶対神アテンをさす語じゃ。じゃが、ウィリアムは『偉大なる真理の象徴を太陽円盤=アテンに見立てていた』と考えておる」 ジョナサンが身をのりだす。「ということは、ウィリアム教授の考えからいくとツタンカーテンという名は“真理そのもの”ということになりますね」 「それぐらい偉大だ、という意味で解釈しておけばよい」 「ああ!」ボクは、わなわなと震えだし「ひょっとして、アメンの薔薇のアメンとは、実は!」と、叫んだ。 イブが、ボクをちらりと見る。「アメン神のことよ。みんなあなたよりも早くそのことに気づきながら話しているわ」 ……だろう、と思った。 「私たちが不思議に思うのは、どうしてツタンカーメンはアテンという絶対神からアメン神を崇拝するような名前に変えたのか、ってことよ。そうでしょう、ジョナサン?」 「ああ。教授、どうしてですか?」 「うむ、一般的には、彼の兄にあたるアクナトンが行った宗教改革の失敗――民衆の不支持があげられておる。それゆえ、ツタンカーテンからツタンカーメンへ、后のアンクセンパーテンもアンクセナメンと改名し、首都もそれまでのアケタトンからもとのテーベに戻した。じゃが、考古学者ハワード・カーターたちが、一九ニニ年に発見したツタンカーメン王の墓からは、アテン神を象徴する太陽円盤の模様の品々が数多く発掘されておるんじゃ」 「つまり、ツタンカーメンはアテン神をも信仰していた、とうことですか?」 「ウィリアムは『改名してからもずっとアテン神だけを信仰していた』という見解じゃ」 「その証拠は?」 「さっき話した埋葬品じゃ。特に、王――ファラオの玉座のレリーフに太陽円盤が描かれておるのじゃ。」 「それじゃあ、改名したことが意味をなさない。つじつまが合っていないじゃないですか」 「通常の歴史の流れで見ていけば、確かにつじつまが合わん。じゃが、ウィリアムのリポートで歴史を追うと、それなりにつじつまが合ってくるんじゃよ」メルス教授は息を大きく吐き、ボクを見つめる。「それに、彼がヴィジョンの中で聞いた“生命の神の似姿”から“悪魔の姿容”にかえさせられた、と王子が言った理由にも繋がってくる――その謎を解く鍵がアメンの薔薇じゃ」 その時、教授の目が光ったようにボクには見えた。 「ねえ、おじさま、アメンの薔薇は秘密結社だって言っていたけど、一体どういうことをしていたの、彼らは?」 「アメン神の祭司たちで、アメンの薔薇は彼らの影の呼称じゃ。『彼らの歴史はエジプトのそれよりも古く、神とともにあった』とされておる」 「神とともに……。ってことは、神がこの世に存在した時に一緒に生まれたってこと? ナンセンスだわ」イブは大きく手を振って笑いだした。「ユダヤ人やエジプト人の歴史観、世界観としては、面白いわよ。でもアメンの薔薇が神とともにあったっていうのまでは、いただけないわ」 「でも、実際のこととして、そのアメンの薔薇で使われている文字が、彩香の携帯に描かれていたわけで……」 ボクが口を開くと、イブはキッと睨みかえす。 「それはそうだけど、何だかこじつけすぎるのよ、その秘密結社たちは。仮にそういう結社があったとしても、その始まりを天地創造の時代に持ってくるなんて誇大広告すぎるわ。それにアメン神の祭司がアメンの薔薇なら秘密結社でもなんでもないわけじゃない。祭司が彼らの仕事だったのでしょう」 「いつになく興奮気味じゃなあ。興味がある証拠じゃ。秘密結社と称する所以は祭司が表向きでその裏では大きな陰謀をたくらんでおった根拠をウィリアムはつかんでおるからじゃよ。反論は後から聞くから、まずはリポートの内容をきちんと聞け」 メルス教授に諭されて、イブは仏頂面して口を閉じた。 「ええと、どこから話せばよいかのう……」 「つじつまの合うツタンカーテンからツタンカーメンへの改名理由ですよ」 「うむ、そうじゃった。その前にツタンカーメンの前のファラオたちのことを少し話さねばならん。ワシの講義をしっかり聞いておれば、必要は無いのじゃが。まあ復習がてら、話していこう」 いまだにボクたちのことを生徒だと思い込んでいるようだ。ジョナサンのほうを見ると「これ以上、訂正してもキリがないよ」といった表情で両肩を上げ、苦々しい笑いを返してきた。 メルス教授は茶色のカバンから、ぼろぼろになって黄色味をおびた一冊のノートを取り出す。 「色々な説があるのじゃが」教授はパラパラとページをめくり指差した。「ツタンカーメン王の父親はアメンへテプ三世じゃったが、彼には三人の后がおった。ティーイ、サトアメン、ギルヘパじゃ。ティーイとの間に生まれた子が、アメンヘテプ四世。サトアメンとの間にはメリテン、スメンクカラー、ツタンカーテン。ギルヘパとの子がシヌイじゃ。 アメンへテプ三世との共同統治を経て、父の死とともにアメンへテプ四世はファラオの座についた。その時、彼は宗教上の一大改革を強行した――アマルナ革命じゃ。これは、それまでのアメン神を崇拝するアメン教の聖職者たちに対する戦いともいえる。彼はそれまでの神々を否定し、アテン神を唯一神としたのじゃ。彼は自分の名もアメン・ヘテプからアクン・アテン――アクナトンに改名し、都をテーベからテル・エル・アマルナに移し、その地に“アトンの地平線”という意味のアケト・アテン――アケタトンと命名するという強行をとったのじゃ」 この説明を聞いて、ボクは「それは、宗教の自由に反する。アケタトンは独裁者みたいな奴だ。奴は悪い」とぼやいた。それをジョナサンがちゃっかり通訳したので、メルス教授から「アケタトンは首都の名じゃ。王の名前はアクナトン。混同せぬように」と、へんに突っ込まれてしまった。 「まあ、それはいいとして、そのアクナトンの治世の時に行われたアテン神崇拝は長くは続かず、さっきも言った通り、彼の弟にあたるツタンカーメンの時代にはアメン神崇拝を復活させ、都もそれまでのテーベに戻しておるんじゃよ」 「なら、これで問題が解決したってわけだ。ツタンカーメンはいい人だ。宗教の自由が戻った」 ボクは、彼の行動に満足した。そんなボクを見てイブは「あなた、ちゃんと頭働かせて聞いてる?」と、あきれ顔して、ため息をついた。 「へっ、何で?」 「つまり……だ」ジョナサンが割り込む。「君は一部分しか見ずに物事を考えているってことさ。イブや私は、なぜアクナトンは都を移すほどの宗教改革をしなければならなかったのかということと、なぜツタンカーメンは民衆の不支持ぐらいでアクナトンの行った宗教革命を否定するような行動にでたのかということが疑問として起こっているんだ。そうだろう、イブ?」 「そうよ。重要なポイントは都を移すこと――ええっと、何て言ったかしら日本語で? 難しい言葉で……お風呂じゃなくて」 「遷都だ」 ジョナサンが助船。 「そう、それが言いたかったの――遷都ぅ。それをするなんて、並大抵のことじゃなかったはずよ。莫大なおカネがかかるし……」 イブの疑問にメルス教授は頷いた。「首都を移さなければならないほどアメンの祭司たちは力を持っておったんじゃ。アメン神は、もともとは、テーベの市神であったが、そのうち太陽神ラーと同一視されアメン=ラーとまで呼ばれた――それほどまでにアメンの祭司たちはファラオの権力に匹敵するぐらいの政治的権力を持ちはじめていた。そこでアクナトンは彼らの力を弱めるために首都をアケタトンへ移したというわけじゃ」 メルス教授の話を聞きながら、ボクは日本でも同じような事が行わたことを思い出した。平安京遷都――確か七九四年に桓武天皇が奈良にあった平城京から長岡京を経て、京都に新しい都を作ったのだ。記憶に間違いが無ければ、その理由は当時、奈良の仏教僧たちが天皇や皇族、貴族に匹敵するほどの権力を持ち始めていたのを分散させるために行ったものだったように思う。考えてみると、宗教とはスゴイ。でも、何で神を崇拝する宗教が政治に絡んでくるのだろう、という素朴な疑問が湧いてきた。 「それでは……」メルス教授の説明に納得できずに、ジョナサンは更に質問した。「ツタンカーメンがアケタトンから都をテーベに戻したというのは、本当に宗教改革が民衆に支持されなかったという――いまいちインパクトがない理由からですか?」 この問いつめに、メルス教授は耳を掻きながら答えようとしたが、イブが割り込む。「確かにインパクトにかけるわ。そんなの説明になっていない。ファラオと呼ばれるほどの人が民衆の支持率なんか気にする必要なんてあるはずがないわ。ファラオを選挙で決めていたわけじゃないんだから。合衆国大統領を決めるのだったら、ルックスとか、それなりのカッコいいフレーズをまぶした演説をしたり、というようなアピールに力を注がなければいけないけど……。ファラオって世襲性でしょう。民衆の目を気にして首都を元に戻すようなことをしていたんじゃあ、先王アクナトンがやったことが無意味になっちゃうじゃない――アメンの祭司たちの権力を無くしていこうとしたことを台無しにするなんて……。もっと他の理由が……」と、ここまで語ると、イブは口を開けたまま凍りついたかのように動かなくなった。 「判ったか、イブ?」 メルス教授が、意味ありげな笑いを浮かべる。 「つ、つまり、ツタンカーメンは……」イブが小刻みに震えた。「ファラオは……祭司たちの力の前に、屈してしまったんだわ」 「そうじゃ。ウィリアムは『ツタンカーメンは、アメンの薔薇に逆らうことができなかった――彼はこの頃には既に傀儡化していた』と記しておる」 メルス教授の言葉を受け、ジョナサンが激しい目つきでボクを見た。 判った。そういうことだったんだ。そうだね――という思いを込め、ボクはジョナサンを見返して頷いた。そして、メルス教授に言った。 「ボクが見たヴィジョンの中のツタンカーメンは、ちゃんと意味のあることを言っていたんだ。教授がさっき言ってた――アメンの薔薇に逆らうことができずにツタンカーテンがツタンカーメンに改名したというのは、アメンの薔薇たちは彼がファラオとして即位する前には、ほぼ完全に政治的権力を手中にしていたということなんですね?」 メルス教授は満足気な表情をした。「そうじゃ。『ツタンカーメンは、自らの意志で名を変えたのではなく、変えさせられた』んじゃ。それを彼は君のヴィジョンの中で“生命の神の似姿”と称えられている我が名は、彼らの力に屈し、“悪魔の姿容”と名を変えさせられ、王位を継がねばならぬほどに、彼らの力はこの国を凌駕している――と表現したんじゃろう」 ボクのヴィジョンの内容は、ウィリアム教授のリポートと繋がっている。 「ちょっと、おじさま」イブが荒げた声を出した。「まさか、彼の見たヴィジョンっていうのを、全面的に肯定するわけじゃないでしょうね。おじさまは、考古学者なのよ。科学的な目でもって、歴史を紐解いていかなければいけない立場にある人なの。そんな立場の人が、日本から来たわけの判らない子の戯言とツタンカーメンの歴史をこじつけちゃってもいいわけ?」 日本から来たわけの判らない子の、た・わ・ご・と――よくもまあ――本人を目の前にして、遠慮もなく――そこまで人のことを無茶苦茶に言えるものだ。 「ワシでなくおまえが全面的に彼の話を信じるのならまだ判るが……といった感じじゃなあ」 「信じないわよ。ヴィジョンなんて」 「じゃが、おまえもタロット・カードだとか、水晶がどうのこうの――ということをやっておるではないか」 「うっ……。あれは、ホテルがあまり儲からないから、副業で、やっているだけで……。適当なこと言って、客に暗示をかけているだけで……」だんだんと語尾が小さくなっていき、「判るわけないでしょう、人の未来なんて」 彼女はうつむいた。 「わはは。イブに占ってもらった奴はかわいそうじゃなあ!」 大声を張り上げて笑った後、メルス教授はいったん咳払い。「今までのワシじゃったら、イブのように、彼の話などに耳を貸さなかっただろう。じゃが、彼の話はウィリアムのリポートの内容そのものなのじゃよ」 メルス教授は、ボクに向かってウィンクした。彼はボクの支持者側に立ってくれたのだ。 「ですが、教授」ジョナサンは、頭を掻きながら眉をつりあげる。「ツタンカーメンがアメンの祭司たちに屈した理由が、私には気になるのですが?」 「うむ。もう少しキチンと順序だてて話せばよかったのじゃが、実は、アクナトンの次のファラオがツタンカーメンだと君たちは思い込んでいるようじゃが、ツタンカーメンの前に、もうひとり、ファラオがおったんじゃ」 「そのファラオとは」 「彼の兄――スメンクカラーじゃ」 「そのスメンクカラーが、アメンの薔薇たちと結託か何かをして……?」 「いや、彼はアクナトンの築き上げたアケタトンでアテン神を崇拝し、アクナトンの理念を引き継ごうとしていた。」 「では、どうして弟のツタンカーメンはアメンの薔薇に屈してしまい、その理念が貫けなかったのでしょうか? 兄のスメンクカラーは立派に先王の理念を貫き通したというのに……」 「いや、立派に貫き通したとは言い難い。それにはスメンクカラーの亡くなり方に問題があるんじゃ。実は彼の政権は一年と続かなかったのじゃよ」 「一年に満たない? ということは?」 「ウィリアムのリポートでは、『政権の短さからいって、病死もしくは自殺。あるいはアメンの薔薇たち以外の者に殺された――という説が考えられる』と」 「アメンの薔薇たち以外の者に?」ジョナサンは怪訝な顔をした。「病死なら納得できますが、もし殺されたのならば、今までの話の流れから行くと、私にはアメンの薔薇の誰かに殺されたと考えたほうが筋が通るような気がするのですが……。それとファラオの自殺説というのも……」 そう思うのも無理はないといった表情で、メルス教授は眼鏡をはずし息を吐きかけた。「ウィリアムは自殺説を採用していて、そこら辺のところについては『精神的に追い詰められたスメンクカラーは弟に言葉を与えた後、毒を飲んで自殺した』と言及しておる。殺害できない理由については『アアト・ラ・メティ・チェスと呼ばれていた大陸より受け継がれてきた神聖なる言葉のためだ』と述べている」 「言葉? アアト・ラ・メティ・チェスと呼ばれていた大陸?」 「ヒエログリフで“大いなる・太陽、正しい・言葉”という意味じゃ」 「――!」 教授の言葉に、ボクは全身に鳥肌が立つのを感じた。 大いなる太陽・正しい言葉の大陸――思い出した。それは、ボクが見た夢の中で出てきた言葉だ。夢とヴィジョンも、繋がっていたのだ。そして、今ハッキリと理解した。その<大いなる太陽・正しい言葉の大陸>より受け継がれてきた神聖なる言葉こそ、彩香の携帯に書かれていた―― 「ヤハウェだ!」 周りの三人が、ボクを見つめた。 「アメンの薔薇の真の狙いは、政治的権力なんかじゃなかったんだ。それは『 “神の意に叶う者”から“神の意に叶う者”へと口伝されていった』――ユダヤのラビたちでさえ発音を知らなかった――大いなる太陽・正しい言葉の大陸から伝わったヤハウェの本当の発音を狙っていたんだ。だから発音を知っているファラオを殺すことが出来なかったんだ」 ジョナサンが急いでメルス教授に通訳した。 「なぜ、それが判った? ウィリアムのリポートの結論に近い部分じゃぞ、それは」 驚き慌てる教授に、今度はボクの夢の話をした。異国――今となっては、確実にそこはエジプト――の神殿で、儀式を終えたボクが神官たちから正式に認められれば、次の神殿で、その祝福として、"大いなる太陽・正しい言葉"の大陸から伝わる言葉を授かることが出来た――という内容の夢を。 ボクはこの頃の時代に、関与していたのだ。信じられない話だが、ボクは――ボクの過去生はエジプトと関係していたのだ。ボクはツタンカーメンの次のファラオなのか! ジョナサンの通訳を聞き終えると、メルス教授は急に立ち上がり「それでは、君の夢の話もヴィジョンの話もまともに受け取ると、君がツタンカーメンからの言葉の口伝者ということになってしまうではないかァ!」とボクの胸元を掴みあげ、怒鳴りつけるようにボクを揺さぶった。“Do you know how to pronounce it !?” 「わ、わっ……。苦しいい……。ジョンサン、教授は何と?」 ジョナサンはボクたちを引き離そうとしながら通訳した。「その発音を知っているのか?」 「し、知らない。そこまで夢の中では・・・・・・」 だが、教授はなかなか手を離そうとしない。なおも大声でわめきながら、揺さぶりを激しくした。“Don’t you tell me lie?” 「ウソじゃないだろうな、といっているが!」 と通訳。 「う、ウソなんかついていない! 早く通訳して」 やはり手は離れない。 “Really?” 「本当に本当か?と言っている!」 「本当だよぅ」 “Who the hell were you in a past life?” 「なら君は誰なのだ?と訊いている!」 「ボクは、森岡・・・・・・」 「そうじゃなくて、古代エジプトにおける君の名をきいているのだ、教授は!」 “I don’t know!”(知らないよ!) 力任せに、ボクは教授の股間に蹴りを入れた。 「ぐへぶ・ばァッ!」 鈍い唸り声とともに、暴力は収まった。 メルス教授は、股間を押さえながら席に着くと「気が動転していたようじゃ。すまなかった」と詫びて、話を続けた。「もし君がツタンカーメンから言葉を受け継いでいたとしたら、イテテ、順番からして、それは次のファラオ――アイということになるのじゃが……」と、不服そうに首をかしげた。 「どうしたの、おじさま?」 「彼が見たヴィジョンの中でのツタンカーメンは、ファラオに即位する前――幼少――のころじゃ。それは、おかしい。言葉を渡すとすれば死ぬ間際とかだろう。試験のようなものがあったというのも……解せん」 どうやらボクがアイである可能性は低いようだ。 ジョナサンが新しい紅茶を差し出しながら言った。「以前、衛星放送のスペシャル番組で見たのですが、ツタンカーメンは確か九歳ぐらいで即位し、十八か十九歳の若さで死んだのでしたよね。私が見た番組では棍棒か剣のつかの頭部で撲殺された、とか言っていましたが」 「うむ、イギリスの学者ロナルド・ハリソンたちが行ったX線調査の結果、後方頭蓋にある穴を発見したことから、最近はその説が主流じゃ。以前は、毒を盛られた、という説もあった」 「ウィリアム教授の見解は、どうなのですか?」 「彼は『撲殺か毒殺かは断定できぬが、ツタンカーメンは殺されたのだ。殺害の方法は後の学者の課題となるであろう』と書いておる」 「それは、さっき聞いた『ファラオを殺害することはできない』理由に反することになるのでは……?」 「いや、反してはおらん。ツタンカーメンが殺されたのは、ヤハウェの発音を彼に伝えた後だったからじゃ。つまりはアメンの薔薇にとって、ツタンカーメンは用なしとなったのじゃ」 彼――と言ったとき、教授はボクを顎でさした。 イブがテーブルに肩肘ついて「ねえ」とボクを見すえる。「本当に、その言葉を知らないの?」 「うん。ヴィジョンはその言葉を知らされる前に終わったんだ。ツタンカーメンはボクにこう言ったんだ――ゆえに選ばれし者よ、汝は、我より受け継ぐこの言葉を神の意に叶う者が生まれ、彼がこの国から神の祝福する土地へと向かう時に受け継ぐまで、把持せよ。それが汝に与えられた使命なのだから――と」 「選ばれし者――と、言ったのね? それに把持せよ、と?」 「そう、把持せよ……だったと思う」 「ツタンカーメンは、あなたのことを神の意に叶う者とはいっていない。神の意に叶う者に渡せって言ったのよね。ああ、判らなくなってきちゃった!」バンとテーブルを叩き、イブは頭を抱えた。「ねえ、あなた誰だったの?」 イブはボクをじっと見つめた。 「とりあえず、アイ――では、なさそうだ」 自分でもマヌケな答え方だと思った。 イブは、長嘆し目頭を押さえる。 ジョナサンが、腕をくんで言った。「一度に色々な話題がでてきたからなあ。ウィリアム教授のリポートも彼の夢やヴィジョンもすべて事実みなして、一度、整理してみよう」 彼の提案に、全員頷いた。
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