9 霊在意識

ジョナサンの勧めで、家に帰るとすぐにシャワーを浴びた。バスタブに湯を張ろうかと思ったが、やめておくことにした。その後にジョナサンがシャワーを浴び、浴室から出てくると、オレンジをボクに投げ渡した。

ジョナサンは、キッチンの奥に置いてある香炉でチャンパを焚いた。

電話が鳴った。

ジョナサンは受話器をあげ、二三回頷くと「判った。待っている」と言って、電話を切った。振り向きざまに、ボクに言った。「明日の朝、イブとメルス教授がこっちに来るそうだ。メルス教授から彩香の携帯について君に話があるらしい」

「何か判ったのかな、あの解読できなかった文字について?」

「詳しくは話さなかったのでなんとも言えないが、たぶんそんなところだろう」

少しは兆しが見えてきた、と思った。だが、なんだか胸の辺りは、まだ重かった。落ちつこうとオレンジを剥きはじめたのだが、小刻みに手が震えてしまい、うまくいかない。

「少し急いで、君に鍵を渡していかなければならなくなってしまった。あんなことを体験したあとだが、もう一度瞑想に入る気はあるかい?」

ボクは、頷いた。

「三番目の鍵を渡す前に、少し君に話しておかなければならないことがある」ジョナサンはボクの隣に腰掛けた。「彩香が、まだ君が彼女のいる所に来ることができないと言った訳は、君の日常生活に問題があるからなんだ。問題というのは変な言い方かもしれないが、もし君が今のままの意識状態で彼女の所に行けば、君は確実に邪悪な影に飲み込まれてしまうだろう。それを一番判っているのが彩香だ。だから彼女は、私の教えを受けるようにと、君に言ったんだ」

「よく判らないよ、ジョナサン。さっきの彩香との話の内容も、今ジョナサンが語っていることも。彼女がいる所は、そんなに危険な所なのか? 危険だとしても、それがボクの日常生活とどういう関係があると言うんだ。ジョナサンには彩香がいる場所が判っているんだろう。ならどうして助けに行ってくれないんだ。そうだ、警察に連絡しよう。警察ならきっと……」

「ミスター森岡!」ジョナサンは言葉を制しボクの手を握り締めた。「彼女は警察なんかが助けに行けるような所にはいないんだよ」

「なら、彼女はどこにいるんだ?」

ボクは彼の手を払いのけた。

「彼女は、いま……」

「彩香は、いま?」

「霊在意識にいるんだ」

「れいざい・いしき? 幽霊の世界なのか?」

ジョナサンは首を振った。

ますます複雑になってきた。

ジョナサンの話によると、意識には過去意識、現在意識、未来意識、霊在意識というのがあるらしい。これは便宜上分けているだけで、実際に意識がこのように分かれているわけではない、とのことだ。

そのうちの現在意識というのが普段のボクたちの意識状態で、通常の人間は過去意識や未来意識、霊在意識に焦点を合わせることはできないのだ。

シャーマンの世界では、過去や未来といったものはなく、常に現在しかない。現在という物的なものもなく、すべては真空から生み出される幻のようなものなのだ。だからあるのは意識だけなのだ。ジョナサンは、紙を取り出して、現在意識を中心に左に過去意識、右に未来意識。現在意識の上に霊在意識と記入し、それぞれの文字を円で囲んだ。そしてそれらの円をだんだん大きくしながら、波紋のような広がりを描いた。このように波紋を大きくしていくことを、意識の拡張と呼ぶ。そして、過去や未来や霊在は、常に現在と同時進行で起こっている、とのことだ。

「よく過去生を思い出したという人たちがいるだろう。あれは、その人の過去ではなく、その人の現在意識が過去意識にまで意識を拡張しその一部に焦点をあわせたことをいうのだ。つまり、その人がどこに焦点を合わせるかによって、意識状態が変わってくる。ただ、過去意識に焦点を合わせているからその人は過去に生きているのかと言うとそうではなく、その人は過去意識での現在に生きているということになるのだ――結局、やはり、彼は、現在意識に実在しているということになるのだ」

ジョナサンは「現在意識に実在しながら、過去意識と未来意識に焦点をあわせるテックニックのためへの方法を、三番目の鍵から渡していく」と言った。更に、最終的には彩香が実在する霊在意識に意識を拡張するのが目的だ、と強調した。

この話を聞いて、何が何だかますます判らなくなった。きっとボクは頭が悪いに違いない、と言うと「話を聞いただけでは理解できない。この意識の話は言葉にできない部分もあるからだ。体感しないと判らないよ」と微笑んだ。

人を頼るばかりでなんだけど、と思ったが「ジョナサンは霊在意識には意識を拡張することはできないの?」と訊ねたら「私は未来意識や過去意識にならある程度はできるが、霊在意識には、まだ拡張する力がないんだ」と答えた。

「電話を通してボクが彼女と会話したってことは、どういうことなの。ボクの意識が霊在意識まで拡張していたと、とっていいのかなァ?」

「いや、彩香の意識が君の意識に焦点を合わせこんできたんだ。私に比べると、かなりの力を彼女は持っている。だが電話を使ったということは、彼女もまだ充分な力を発現できていないようだ」

なぜ電話なのか、と訊こうと思ったが、結局またこんがらがるだけだと思い、やめた。

「ねえジョナサン、彩香が言っていたアメンって、何者なの? ジョナサンは邪悪な影って、さっき言ってたけど……」

「実を言うと、私にも詳しくは判らない。彩香と携帯で話している時にきいたアメンという言葉の響きから、邪悪で薄暗いイメージが伝わってきたので、そう言ったんだ。だが、それについては、明日、イブたちが来れば判ることだと思う」

「それは、イブと電話をしている時に、そう感じたからだね」

ジョナサンは大きく頷いた。

三番目の鍵は「友だちをつくる」ことだった。

「これからは、心の使い方や言葉の使い方が大切になってくる。それを教えてくれるのが、友だちだ。生涯つきあえる友を見つけるんだ。

今日その方法を試みて、見つかると言うわけにはいかないと思うが、焦ることはない。必ず逢うことができるから」

と前置きして、ジョナサンは説明を始めた。

大地と繋がって瞑想状態にはいり、最後には意識を額に持っていく――というところまでは同じだが、友だちと逢うためには、額に持っていった意識を今度は脳の中心に持っていき、焦点を狭めていかなくてはいけない。狭め方としては、脳の中心に光の球体をイメージして吐き出す息とともにイメージした球体を半分に割ってそのうちのひとつをまた球体にする、という作業を行う。これを何度も繰り返して、光の球を小さくしていく。焦ると、呼吸が荒くなるので注意する。この作業を何度も繰り返し、球体が小さくなりすぎてこれ以上は無理かな、と思ったところから、次は吸う息とともにその球体を倍の大きさにイメージしていく。これを体を包み込むぐらいの大きさまでにしたら、その光と自分の体を一体化させる――体が光そのものになるようにイメージする。

光そのものになったら、意識がだんだん遠ざかりはじめ夢見心地のようになるので、眠ってしまう直前の頃合を見計らって「私の友よ、現れてきてくれ」と心の中で叫ぶ。

自分の部屋で、ボクはこの方法を何度か試してみたが、眠りに入る寸前のタイミングがうまく掴めなかった。瞑想中に寝てしまい、体がガクンと揺れた拍子に目を覚ますといったことを繰り返すだけで、結局、友だちを見つけることができなかった。そのうち、半ばやけくそになって、床に大の字に寝ころがってこの方法を試してみた。この方が楽だと思ったからだ。だけど、それ――ボクの思いついた良い方法――は、熟睡を誘うもの以外の何者でもなかった。おかげで(?)、その日の晩はぐっすりと眠ることができた。