11 大いなる太陽・正しい言葉

整理をする前に、一旦、休息を入れることになった。

ボクはトイレに行った。洗面場で手を洗った後、鏡を覗き込む。イブが言っていたようにすごい髪形だ。水をつけて寝癖を押さえた。それから自分の部屋に戻って机に腰掛け、ラッキーストライクに火をつけた。

ボクは、誰だったのだ?

胸元のポケットから携帯をとりだし、ストラップを掴んでブラブラさせた。

いつまで、ここにいるのだろう?

机の隅に携帯を置く。

ここで、何をしているのだ?

現・実・逃・避――という言葉が、心の中で揺らぎ始める。

ツメを噛んだ。

これよりこの先、ボクはどうなっていくのだろう?

こんな所で、こんなことをしていて、いいのだろうか?

が、そんな不安とは裏腹に、なにか大きな力――それは、ボクの力で、いや、何者にもコントロールすることができない流れ――みたいなものが、ボクの人生を導いているような気がするのだ。そして、その流れに身を任せるべきである、といった直感めいたものも、強く感じる。だが、百パーセント、その流れを信じきることができず、ひょっとしてこのままこんなことをしていたら、取り返しのつかないことになってしまうのでは、といった重苦しさを伴った焦燥も、同時にボクの心の中に同居しているのだ。

急激に胸元が重苦しくなってきて、鬱に襲われ始めようとしたとき、キッチンからジョナサンの声。「はじめるよ」

ボクは、救われた思いがして、深くため息をつくと、立ち上がった。

まずは、彩香の携帯。そこには『その者に、昔の言葉、正しい言葉を教えよ』とあった。そして文字の下にはカルトゥーシュらしき囲みの中に“ヤハウェ”という文字が、アメンの薔薇の秘密文字で、書かれていた。ここから、昔の言葉、正しい言葉とは、ヤハウェ。つまり、『その者にヤハウェ――神の名の正しい発音を教えよ』の意味であることが判る。

その正しい発音は――それ以前のファラオであることも考えられるが――アクナトンが確実に知っていたことは確かである。その理由として、彼のアケタトン遷都をボクたちはあげる。遷都の理由を「おそらくアメンヘテプ三世あたりからアメンの司祭たちの力が強まってきて、彼らからヤハウェの言葉を守るためであったのではないか」とした。そしてヤハウェの発音は、スメンクカラーに引き継がれ、ツタンカーメンへと引き継がれていった。それからツタンカーメンは、ボクに、その言葉を誰かに伝えるために、即位前に教えた。

そして、ボクはその言葉を誰かに教えなければならなかった。その誰かとは神の意に叶う者で、彼はまだその時には誕生しておらず、成長し、やがてこの国から神の祝福する土地へと向かう者であった。

ヤハウェを、ウィリアム教授はアアト・ラ・メティ・チェスから伝わってきた言葉だと記している。アアトラメティチェスの意は「大いなる太陽・正しい言葉」だ。これはボクの夢にも出てきた大陸名だ。

と、ここまで纏め上げると幾つかの疑問が更にあがった。それは――

@アアトラメティチェスとはどこの国なのか?

Aいつ誰がヤハウェという言葉をエジプトに持ち込み、誰に伝えたのか?

Bツタンカーメンはなぜ即位前にヤハウェをボクに伝えたのか

Cボクは誰だったのか? (少なくともアイでないことは確か)

D誰に渡さなければならなかったのか?

――という五点だ。

ボク達は、アアトラメティチェスについてのウィリアム教授の見解を、メルス教授に尋ねた。

「彼のリポートには、その国は『アトランティス大陸であった』としておる」

「――!」

誰もが、絶句。

ボクはイスの背に深くもたれかかり、こめかみを強く押さえる。話が、一段とややこしくなってきた。

アトランティス大陸については、少しは知識があった。太平洋だか大西洋だか忘れたが、ギリシャやエジプト文明が起こるずっと以前にあった大陸で、優れた文明を有していたが、大洪水か何かで海に没してしまった伝説の大陸だ。これにつられて、ムー大陸というのもついでに思い出した。

質問するとよけいややこしくなると判断してか、誰もが俯き気味に、教授の次の言葉を待った。

「ウィリアムは、大陸沈没の歴史に関しては、ドイツの物理学者オットー・ムックの説を全面的に受け入れておる――『紀元前八四九八年六月六日十九時に起こった小惑星の地球衝突』という説をじゃ。その衝突の際に生じた大洪水でアトランティスは一日にして海中に沈没した。このときの大洪水こそ旧約聖書にあるノアの洪水であったとし、そこから彼は『ノアはアトランティスの生き残りであり、彼こそがヤハウェの正しい発音を伝えた人物である』としておるのじゃ」

「それでは」ジョナサンが、勇気を振り絞って、教授を見つめる。「ヤハウェの発音は直接エジプトに伝わったわけではなかったのですね。たしか、聖書によるとノアの箱舟は四十日と四十夜、嵐の中を耐え抜き百五十日間大海をさまよった末、アララト山に漂着したと書かれていたように思うが……。ノアの次は……ええと、バベルの塔の崩壊があって、その次あたりに――」

上目で記憶を追うジョナサンに、イブが助け舟を出した。「アブラムだわ」

ジョナサンは大きく手を打って頷き、たたみ込むようにして、また語り始める。「アブラムはたしか、それまでの多神教を捨て、唯一神ヤハウェと契約をして後にアブラハムと名乗った人物だったな。つまり、ノアの子孫たちを経て、アブラハムに正しい発音が伝わった、と解釈すればいいのだな。だが、この解釈でいくと、どこでエジプトに繋がるのだ?」

調子付いていたジョナサンの口の動きが、停まった。

「それが……」メルス教授は、リポートのページを指で追った。「ヨセフじゃ。『彼は幼き頃に兄弟の裏切りにあい、カナンの地より奴隷としてエジプトへと連れて来られた。それから彼はポティファルという身分の高いエジプト人の家で財産管理の仕事をしっかりとこなしたが、ポティファルの妻の虚言により、牢獄の身となった。しかしその後、彼は誰もが解けなかったファラオの夢の謎を解読し、その卓越した知恵に感動したファラオは彼を宰相とした。その後、彼は父のヤコブとイスラエルの民をエジプトに呼び寄せた――この後、ヤコブはヨセフにヤハウェの発音を伝えた』とウィリアムは書いておる」

「思い出した、アブラハム、イサク、ヤコブで、それからヨセフだ。ヨセフからアクナトンにはどのようにして伝わったのでしょうか? ヤコブの一族たちがエジプトに渡ってからの彼らへ対する奴隷としての仕打ちはかなり激しかったと聖書には書かれていたように記憶しているのですが……四〇〇年だったかなあ。そんな奴隷扱いの仕打ちを受けていたユダヤ人のヨセフが、エジプトのファラオに、ヤハウェの発音を伝えたりするでしょうか?」

首を傾げるジョナサンをちらりと見ると、メルス教授はパラパラとページをめくって、眼鏡をかけなおした。「ウィリアムはヨセフからアクナトンに伝わったとは書いておらん。それに四〇〇年間の奴隷生活というのも解釈が間違っているのかも知れん。ワシもウィリアムのリポートを読むまでは、そう思っておったのじゃが、改めて聖書を読み直してみると、そうではなかった。たしかに創世記十五章十三節には――《あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四〇〇年の間、苦しめられよう》――とあるが、ウィリアムは、『ヨセフの父ヤコブがエジプトへ移ってきた記述では――《エジプトに行ったヤコブの家族はみなで七十人であった(創世記四十六章二十七節)》――と書かれているが、出エジプト記には――《イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いという時に、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから」

そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロ(ファラオ)のために倉庫の町とピトラムとラメセスを建てた(一章七節から十一節)》――とある。ここに着目しないわけにはいかない。四百年のあいだ“寄留者”としての扱いは受けたが、四百年のあいだ奴隷であったわけではない』と書いておる。そして『彼らが奴隷として扱われ始めたのは、彼らが“おびただしくふえ”た時に代わったファラオの時代からである』としている。

この方が聖書の記述に矛盾なく読めるとワシも感心した。つまり、最初に七十人という数でエジプト入りしてからおびただしい人数に達するまでのあいだは、ユダヤ人はエジプト人たちとそれなりの暮らしていたはずなのじゃ」

「なるほど」ジョナサンは合点した。「それではおびただしい人数に達した時の年代がある程度、具体的にわかれば、いつ頃のファラオの時代だったかが割り出せるわけですね」

「うむ。ウィリアムはまず『ヤコブからモーセまでとヨセフの家系を調べた。それは、


であり、――《私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう(創世記五十章二十一節)》――というヨセフの宣言から、短くてレビの子ケハテの代まで長くてアムラムの人生の中間辺りまでは、平穏な時代であったのではないかと推測する』として『その期間についてはヨセフ死去後一五〇年から二〇〇年ほどではないか』としておる」

「一世代か二世代で一五〇年から二〇〇年は、長すぎるのではないですか?」

「今の平均寿命から考えればな」メルス教授は眼鏡をかけなおした。「じゃが『この頃のユダヤ人は長生きで、ヤコブが一四七歳、レビが一三七歳、ケハテは一三三歳、と長寿をまっとうして』おるのじゃ。それゆえ、ウィリアムが導き出した一五〇年から二〇〇年はという数字は妥当と言えるじゃろう」

文章の下には、ごちゃごちゃと書き込んだ計算式があった。

そうだ、ヨセフはエジプトの宰相だったのだ。彼が宰相の時にヤコブの子孫を呼び寄せたのだから、いきなり奴隷として扱われるはずはないのだ。ファラオの次クラスの待遇でいた彼の子孫たちも政治にいくらかは関与していたに違いない。ファラオと親しい時が長期間あったのだ。そして何世代か後に、あるファラオが“神の意に叶う者”として選ばれ、ヤハウェの発音を引き継いだことも考えられるのだ。

ボクは首を横にかしげた。「その時代が、アクナトンの頃だったの?」

「いや、聖書から期間の割り出しは行えたが具体的な年代が出せないので、ウィリアムは今度はエジプト史から年代の割り出しを試みた」

『モーセのエジプト脱出があったときの政権はラメセス二世のときであったという説が有力なので彼の在位期間、紀元前一ニ九五年から一ニニ五年頃に目を向けよう。脱出の際、彼らの後を追ったエジプトのファラオはモーセが行った紅海を二つに割る奇蹟の際に死んだことから、紀元前一ニニ五年頃に出エジプトがあったと仮定できる。次に出エジプト記十二章四十節には――《イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四三〇年であった》――と結果が述べられているので、四三〇年前に遡った紀元前一六五五年が、ヨセフが十七歳にしてエジプトに奴隷として売りとばされてきた年となり、その十三年後の紀元前一六四ニ年に彼は三十歳にして宰相となったことになる。亡くなったのが百十歳なので紀元前一五六ニ年。そこから、一五〇年を足すと紀元前一四一ニ年。二〇〇年ならば、紀元前一三六ニ年となる。

この期間以降からイスラエル人の奴隷化が始まりだしたとすると、この頃のエジプトは第十八王朝――トトメス四世からツタンカーメンの治世となり、これ以降のファラオはアイ、ホレンヘブあたりだ。

私はユダヤ人を奴隷化していった王をホレンヘブと考える。聖書の――《ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった》――という記述は「ヨセフの恩とは関係のない血筋のファラオに代わった」という意味と解釈すれば、それは彼になるからだ。ホレンヘブは当時のエジプト軍最高指揮官であった。が、王家の血筋ではなかったので、その親戚となるためにネフェルティティの妹ムトノジムと結婚した。それから、彼はアメンの薔薇の力を借り、ファラオへとのし上がったに違いない』

静かな時間が、しばらく続いた。

イブは髪の毛を両手でかきあげ、大きなため息をついた。「ツタンカーメンの治世以前には、ヤハウェの発音は或るファラオに伝わっていた。ユダヤ人がファラオに発音が伝えてから、彼らへ対する風当たりが強くなったということね。そう考えるとファラオもひどいものね。必要なものを手に入れたとたんに手のひらを返すがごとく……ん? いや、違うわ。彼らの奴隷化の黒幕は――」

「そう。アメンの薔薇じゃよ。彼らはホレンヘブを利用したのじゃ。ウィリアムはここで注意として『彼らの歴史は、神とともにあった』ことを再度強調しておる。つまり、エジプトにおける彼らの活動はアメンの祭司であったが、それ以前はユダヤの歴史にぴったりと関与していたのじゃ」

イブが足を組みなおした。「ようするに、アダムとエバの時代から彼らは存在していた、ということね」

「うむ。それを象徴しているのが彼らの紋章といっても良いじゃろう」

ボクは、薔薇の花に巻きつくヘビの紋章を思い出した。たしかヘビは、エデンの楽園でくらしていたエバをそそのかして、善悪を知るの木の実を食べさせた動物だ。聖書音痴のボクでもそれぐらいの知識はある。

アクナトンはアメンの薔薇からヤハウェの発音を守るためにアケタトン遷都を行った。そしてそれは、スメンクカラーからツタンカーメンへと伝わり、ボクへと伝わった。でもなぜ、アイではなく、ボクだったのだ? ボクはいったい誰なのだ。

ボクはメルス教授に訊いた。「ウィリアム教授は、ツタンカーメンから誰に伝わったのかはリポートには書いていないのですか?」

「なかなか良い質問じゃなあ。残念ながら彼にもその謎は解けていないのじゃよ。じゃが、『モーセには伝わっているはずだ』と推理しておる」

メルス教授の回答に、ジョナサンとイブは「やはり」といった表情で深く頷いた。

「モーセって、さっきの計算に出てきた人のこと?」

ボクはジョナサンに目をやった

「そうだ。奴隷としての扱いを受けていたイスラエルの民を救うべく、数々の奇蹟を起こして、再びイスラエルの民を、カナンの地へと導いた人物だ。教授、それでは、ツタンカーメンから誰にヤハウェの発音が伝わったかは判らないが、エジプト脱出の際には再びユダヤ人のモーセに伝わり一件落着といったところですか? 結局、アメンはヤハウェの発音を知ることができなかったと?」

ジョナサンは結論を急いだ。

「いやいや」メルス教授は頭を振った。「後の経緯は詳しくは判らぬが『キリストまでは伝わったに違いない』と記しておる。その後もヤハウェの発音は誰かに受け継がれていっているはずなのじゃが、ウィリアムの今回のリポートではそこまでは解説しておらん。しかし『アメンの薔薇は今もその発音を探している。その言葉を手に入れ、この世界を変えるために』というふうには結論づけておる。まさしくヘビみたいにしつこい奴らじゃ。ウィリアムは今、その後の調査のために中国へ行っておる。この書類は北京から中間報告として送られてきたものじゃ」

「北京――ですか。そこに何かがあるという確証を掴んで、ウィリアム教授は……」

「うむ」

「ヤハウェの本当の発音を手に入れ世界を変えるとは、いったいどういうことなのでしょうか」

「それは言及しておらん。ただ、とんでもないことを企んでおるのは事実じゃろう。なにしろ、紀元前からの活動集団なのじゃからな」メルス教授はポンと書類をテーブルに置いて、一息ついた。「ここに書いてあることが、すべて事実だとすればじゃが」

ジョナサンが目を丸めた。「それでは教授は、ウィリアム教授のこのリポートの内容を……?」

「ああ」彼は嘲るように一同を見渡し、言葉を吐いた。「信じてなどおらん」

会話はここで終わった。

いや、ちょっと待てよ。それだけだったら結局、彩香の携帯に書かれていた文字が「ヤハウェ」であったということで、終わってしまうじゃないか。それに夢やヴィジョンでのボクはいったい誰だったのかということも判明していない。ボク自身と彩香のことは何も解決していない。ボクはそのことをメルス教授に訴えた。

「ワシは――君の話には興味は湧いたが――別に君のヴィジョンの解明をするためにここに来たわけではない。いなくなった女の子の手掛かりにでもなればと思って、ウィリアムの書類を持って来て解説したまでじゃ」と言って、席をたった。

確かにその通りだ。だが、この共通した事実を、メルス教授やイブは、何とも思わないのだろうか?

ボクは、玄関に向かうメルス教授の後につき従う。

彩香は、どうやってアメンの薔薇の秘密文字を知ることができたのだろうか?

扉を開けるメルス教授の背中を見ながら、考えた。

教授は手を振った。「また何か判ったら連絡するよ。ワシはもうニ三日、コッチにおるつもりじゃが……」

ボクは何者なのだろうか?

「じゃあ」

玄関のドアが閉まった。

キッチンに戻って席に着くと、ボクはラッキーストライクに火を点けた。ケースの上にライターをポンと置いた時に、気づいた。彩香の携帯が鳴っている。自分の部屋に置きっぱなしにしていたのだ。ボクは急いで部屋に駆け込んだ。

「もしもし!」

「おそいわ、森岡君」

「ごめん」

「まあ、いいけど。それよりも、あの人たち、もう行った?」

「――って、メルス教授とイブのこと? 帰ったけど。何で知ってるんだ? 今この近くにいるのか?」

「ううん。霊在意識にいるってジョナサンから聞いたでしょ」

「ごめん。そうだった」

「いろいろと話を聞かせてもらったのね、アメンの薔薇の人から」

「えっ! ――って彼らが……?」

「イブさんの方は違うわ。あの教授よ。まあ、私から森岡君に説明する手間が省けて助かったところもあったけど」

「じゃあ、あのウィリアム教授のリポートの話って?」

「ウィリアムっていうのはデッチあげだわ。何で北京が関係してくるのよ。最後の方は笑っちゃった。でも、アメンの薔薇のことやエジプトの歴史はだいたい合っていたわ、彼らサイドの言い分としてはね」

「でも、何で彼はあんな話をボクにしに来たんだろう?」

「まずは携帯の文字のことから説明するわ。私は、あれを見れば、もしかしたら森岡君の意識の拡張が早まるかなと思って書いたんだけど、それは起こらなかった。誤算だったのは、私の携帯を森岡君たちがメルス教授に見せてしまったこと。あそこに書いてあるヒエログリフを見て、彼は森岡君が合わせることが出来る過去意識の領域を直感的に気づいたの。それで彼は、その頃の話をすることによって、私同様、森岡君の意識の拡張を狙ったってわけ。あなたが誰の過去意識にスポットできるのかを確かめたくてね。判りやすく言えば、森岡君の前世の記憶を呼び戻そうとしたの――前世で森岡君がいつの時代の誰だったかを思い出せば、ヤハウェの発音も思い出すでしょう。そうすればそれを訊きだすことが出来る、と踏んだわけ」

「まずい動きをボクとジョナサンはしてしまったんだね。それなら、サンフランシスコに行く前に教えてくれればよかったのに」

「あの頃の森岡君じゃあ、携帯で連絡が出来るほど意識の拡張が出来ていなかったから無理よ。それにフリスコに行ったこと事態は、別に間違ってなんかいないわ。結果としてそうなっただけだから。でも、あれはまずかったなあ」

「あれって?」

「森岡君の夢やヴィジョンのことをメルス教授に話してしまったことよ。あれは彼にとって、かなりの収穫だったに違いないわ。森岡君がツタンカーメンと何かしらの関係を持っていたことが判ったんだから。でもそれによって、あなたの身が危なくなってきたというのもあるけど……。あなたはキーマンだから」

「彩香、さっきボクたちがしていた会話はだいたい理解しているんだろう」

「ええ」

「じゃあ、教えてくれ。あの時代のボクはいったい誰だったのかを」

「森岡君は、古代エジプトにおいても森岡君よ」

「えっ?」

「今はまだ理解できないでしょうけど、そのうちどういうことかも判ってくるはずよ、ジョナサンの教えを実行していけば。だけど、本当に、もう時間があまりないの。早く友達を見つけて。そうすれば、私に逢えるから。おねがい」

その後、ジョナサンと電話を代わった。

打ち合わせっぽい会話の途中、ジョナサンはぼくの肩に手を乗せて言った。「彩香から聞いたと思うが、時間があまりなくなってきた。友達を見つけ次第、君は彩香のところに行くことになる。残りの鍵は、彩香と私とで分担しながら渡していくことにした。少々危険だが、いたしかたない」

事態の完全な理解はやはり出来ていなかったが、ボクはジョナサンを見つめて重々しく頷いた。

ジョンサンが携帯をボクに渡す。「彩香がもう一度、代わってくれと言っている」

「もしもし」

「森岡君、早く着て。うまくいけば私たちは彼も助けることが出来るかもしれないのよ」

「彼って?」

「救世主に関係のある人」

電話は切れた。