16 決戦?

何度か試みた後、ボクたちはジェドの意識にスポットが合わせられないことが判った。理由は判らない。とにかく、出来ないのだ。

ジェドは一度死んでしまっているから、その意識を捻じ曲げるような行為は拒絶されるのかなあ、とセルジオに訊ねると「それは無いはずだ。生死というのは過去とか未来とかを分けた考えで、実際は同時進行だからね」という回答だった。

「それじゃあ、理由はなぜなんだ?」

問いつめるボクに、他の連中は首を傾げるだけ。

彩香にしても、メルやセルジオにも、判らないことがあるのだなあと変な安心感を持った。

「万事休す――かァ」と呟いた後「いや、どこかに絶対、打開策があるはずだ!」と、否定的な言葉を打ち消してみたが、本音は絶望的だ。

あの笑顔が自然と浮かんできて「ジョナサン……」と、急に彼が恋しくなって呟いた。

何気なく空を見上げる。

しばらくすると、

「聞・こ・え・た・よ」

と、返事が返ってきた。

「聞こえたァ?」

声が甲高くなってしまった。

「ああ、久しぶりだ、ミスター森岡。いや、私もこれからは君もことを淳と呼ばせてもらうよ」

声がどこから聞こえてくるのかと、ボクはあちこち見回した。

彩香がコツコツとボクの肩をたたいた。「彼は意識を通しているのよ。他のみんなにも聞こえているわ」

「かなり霊在意識に共鳴できるようになってきた、君のように体までは無理だが」

相変わらず、ボクは上を向きながら言う。「ジョナサン、今どこにいるんだ?」

「メルスたちから逃れ、ある場所に身を隠している。そこで瞑想を通して君たちの意識に共鳴しているんだ」

「ジョナサン、ボクたちがどうしてジェドの意識にスポットを合わせられないのか判るかい?」

「それは、アメンの薔薇たちの妨害だろう。彼らは君たちよりも巧みに意識のコントロールが出来るはずだ」

彩香が、不安げな表情を浮かべる。「ここも危ないのかしら?」

「かなりヤバくなってきている。いつ感づかれてもおかしくない。メルスたちは血眼になって君たちを探している」

「でもジョナサン、彼らもジェドからモーセに言葉が伝わらないと困るんじゃあないのかな?そのほかの意識では、誰から誰に伝えられていったか良く判らないはずだし……。 そう言えば、キリストはどうだったのだろう? 彼はヤハウェの言葉を受け取っていたのだろうか?」

今までは自分の過去意識を追うことに集中しすぎて、ヤハウェの言葉がキリストの時代ではどうなったのかを忘れていた。

「言葉は、キリストには確実に伝わっているはずだ。だが、彼らにはキリスト意識には絶対に接触できない。なぜなら、彼の意識は愛そのものだからだ。限りなくダークサイドに近い彼らには愛の意識に触れることは出来ないから、安心していい。問題はジェドなのだが、彼らはジェドの意識にキミたちがスポットを合わせられなくすることによって、もうひとりの確実に言葉を聞きだせる人間を狙っているのだ」

「もうひとりって、いったい誰だい?」

ここらあたりがないので訊いた。

ジョナサンは、素っ気なくこたえる。「君だよ」

と言われても、ボクはその肝心な言葉を思い出せないでいる。なぜだろう? 過去意識にスポットを合わせてみてもジェドが聞いたヤハウェの発音を知ることが出来なかった。

綾乃の記憶が今まで無かったように、ジェドの記憶も欠落している部分があるのだろうか? いや、欠落というのは、おかしい。これまでにジョナサンやジェドから教えてもらった理論で考えると、綾乃のことにしてもジェドのことにしても、ボクは自らその意識をブロックしていたということになる。綾乃の時は彼女を見殺しにしてしまったという罪悪感の意識からブロックしていた。そして恐怖を拭い去るという意識の変化が過去の状況を――つまり過去意識を変えることが可能だと理解した。

ならば、ジェドの時もそういう状況があったのだろうか? あの意識よりもっと、とてつもない恐怖があったから意識をブロックしているのだろうか?

自分の意識に一部だというのに、その理由が判らないとは……。

「言葉を思い出せないボクを見つけたところで、彼らはボクをどうにもできないよ」

と、半ば高をくくった。

「いや、彼らは……」

「……?」

意識が、伝わってこない。

「――!」途切れている。「ジョナサン!」

叫ぶと同時に、メルス――という言葉が、脳裏をよぎった。「ジョナサンに何をした!」

瞬く間に、空が漆黒に染まると、鈍たらしくて不気味な笑い声が、ボクたちの居る意識空間に響き渡る。「探したぞ、森岡淳」

声と共に、ゆらゆらと、メルスがあらわれた。そのバックにはスーツ姿の男たち。彼らは、血みどろになってうな垂れているジョナサンを引きずっている。

「ジョナサン!」

走り寄ろうとするボクを、メルスはすばやく手で制す。「そこまでだ。それ以上近づくな」

メルスは、あたりを見回しながら臭いをかいだ。「空気がきれいすぎるな」

そう言うと、緑の草原が風も無いのに激しく揺らぐ。

「ここは、我々にはピュアすぎる。長時間は無理だ」それから、少し間をおいて、不気味に笑う。「取引をしよう。こいつの命を助けたければ、言葉を教えろ」

「判らないって、何度も言ってるだろう!」

ボクは、拳を握り締めた。

「ならば、薬を飲め」

内ポケットから小さな子ビンを取り出し、耳元で振る。

「そこの女は知っているな」メルスは彩香を見据えて「このまま彼を霊在意識に置いておけばどうなるのかを」ニヤリと笑った。

ボクは彩香のほうに振りかえる。「どうなるんだ?」

「つまり……」彼女は震えながら「自分の意志無しでの長時間に及ぶ別の意識界への移動は、迷宮入りか、もしくは……」

頬をこわばらせる彩香を、メルが助けた。「意識そのものがヴォイドしてしまうの……」

「ヴォイド?」

ボクはセルジオを見た。

セルジオは目をそらして下を向く。「虚空。もしくは、気よりももっと細微な状態になるってことだ」

「ようするに」メルスは目を引きつらせ、ニヤついた。「死ぬってことだ」

ボクは、ジョナサンを注視。ここからの距離でも顔色が失われつつあるのが判る。

そして、彩香との距離を狭めた。「薬を飲めばヤハウェの発音を思い出せる」

「でも、それじゃあ……」

彼女は、顔をくしゃくしゃにしてボクを見つめている。

ボクは彼女を抱きしめた。「その結果がどうなるのかは、ボクには判らない。でも、全ての意識界にとって神の言葉が必要であるように、ボクにとっては、ジョナサンが必要なんだ――彩香と、同じくらいに……」

彩香は、震えていた。いや、もしかしたらそれはボクの震えなのかもしれない。

しっかりと彼女を抱きしめたまま、ボクはセルジオを見、メルを見た。

彼らは何も言わない。

ボクは彩香を引き離した。「行くよ」

振り返り、メルスたちの方に歩み始めた。

一人の人間を救うために、この世の全ての万象に異常を与えるということは、大罪だろう。全てを裏切る行為なのかもしれない。でも、全てを裏切ってさえも、ボクはジョナサンを、守りたい。なぜなら、ボクは彼のことを――

愛しているからだ。

ぐったりとしているジョナサンを一瞥すると、ボクはメルスを睨みつける。「薬を、飲む」

満足そうに頷き、メルスはビンの蓋を開けた。「口をあけろ」

「自分で飲む」

ボクは、首を振った。

フンと鼻をならし彼は錠剤をニ粒ボクに手渡す。「変なまねはするな」

メルスから錠剤を受け取ると、ボクは訊いた。「アメンの薔薇たちがヤハウェの発音を知ることによって、意識界はどうなるんだ?」

「さあな」メルスは耳の辺りを掻いた。「我々も詳しいことは判らない。と言うより、我々下部組織の者は教えられていないのだよ。ただ、この霊在意識は速やかに消滅し、それに伴ってニ〇一三年以降の現在意識界にも急激な変革がくるということだ――我々の聖典には神の降臨がある、と記されている」

我々の神――つまり、悪魔ってところか。もう、この際、どうでもいいことだ。

ボクは、薬を握りしめ、彩香に目をやった。

覚悟を決めたのか、彩香はコクリと頷く。

「つまり」ボクは、メルスの方に向きなおった。「今ここで発音を教えれば、ボクとジョナサンはニ〇一ニ年の十二月三十一日までは生きられるってことだな」

「正確に言えばニ〇一ニ年の十二月二十二日までだ。逆に言えば、その日が我々にとってのタイムリミットだ」 メルスは苛立った。「さあ、早く飲め!」

フッとボクは自分の前髪に息を吐きかける。

どっちに転んでも、ボクはジョナサンか彩香かを見殺しにするということか……。

ボクは天を仰いで言った。「神様、この選択は辛すぎます」

「淳……」ジョナサンが顔を上げた。「私のことはかまうな。君の……本来の使命を、思い出せ」

「うるさい!」メルスは怒鳴りつけると同時にジョナサンの顔を蹴り上げた。

「何をする!」

飛びかかろうとしたボクを、黒ずくめの男たちがはがい絞めにした。

「ええい。らちがあかん」メルスはボクの顔をわしずかみ、頬をえぐるようにして口を開けようとした。「ワシが飲ませてやる」

必死に抵抗をしたが、それは無駄な足掻きだった。手のひらに握っていた薬がこぼれ落ちる。

すわ、ダメか!

メルスの手にある錠剤が、ボクの唇に触れた刹那、

「げふっ」

と声を発して、メルスがボクの方に倒れてきた。黒スーツの男たちの手が体から離れ、メルスの体の重みでボクはそのまま押し倒された。

どす黒い血が、流れ始める。

ざわめきが、辺りを包んだ。

メルスの体から顔を出すと、黒スーツの男たちは、ひとりの男を囲んでいた。

隙間から、光が漏れる――剣の光だ。

あのつかの模様は、紛れもない――

「ジェドの……剣」

そして、その剣を持つ者こそは――

「――!」

一瞬、ボクは我が目を疑った。

年老いてはいるが、鍛えぬかれた筋肉美の男が、そこに立っていた。彼が剣を一振りすると、二人の男が鈍い悲鳴と共に倒れた。血しぶき。そして間髪いれずまたひとり。上段から振り下ろした剣は次の男の頭蓋を叩き割る。回転しては斬り、跳躍すると突き刺す――あっという間に全員が切り殺された。

まさに、瞬時にして片がついた。

剣を鞘に収め、戦士は呆気にとられているボクを助け起こそうと、手を差し出す。「大丈夫か?」

ゴツゴツした手がしっかりとボクの手を掴みあげた瞬間、鮮烈なエネルギーがボクの体に流れこむ。頭の先から尾低骨までイナズマに貫かれたような――精神的感電といった――感覚に陥った。そして、この時、自分に対する全ての誤解が解け、ボクは、この大掛かりな芝居の全貌を思い出した。