4 シャーマン

シャーマン――と、ジョナサンは確かに言った。

ボクの頭の中にあるシャーマンのイメージは、上半身はだかの色黒で、腰にはビーズのような飾りをつけ、槍を持っていて仮面をかぶっている――というもので、今ボクの目の前にいるジョナサンとは、ぜんぜん違うのだ。ジョナサンは色が白くて紺のジャケットを着ていて、槍も持っていない。少々顔は怖いが、それは――当り前だが――仮面ではない。

そんな彼が自分のことをシャーマンの血を引く者だ、と言ったのだ。驚くに決まっている。というより、今この目の前で起こっている状況にどうやって対処すればいいのか考えつかなかった。

ボクは呆然としていた。彼の告白になんと受け答えすればいいのかと悩んだ。まさか「ああ、そうだったんだ。シャーマンかァ、うらやましいなァ」は、おかしい。

誰だって、こんな状況に遭遇すれば、ボクみたいになってしまうはずだと思う。ボクの頭の中は、かなり混乱し始めていた。そして、こんな一文が出来上がった。それは、

退職届ヲ会社ニ提出シタ瞬間カラ、ぼくノ人生ハ狂イ始メタノダ。

あの日、あのとき、あんなことさえしなければ、ボクはごくごく平凡なサラリーマンのままで、ごくごく普通の女性と結婚をして、ごくごく普通の子どもたちに囲まれ、ごくごく一般的に歳をとり、ごくごく自然に老衰で死んでいけたかもしれない。

それが、今はどうだ。アメリカに来たとたんに、今まで忘れていた昔の彼女といきなり再会し、その彼女はいきなり行方が判らなくなり、それからいきなりエジプトの文字にまきこまれ、最後は――やはり、いきなり――シャーマン、ときた。

こんなのありか、ふつう……。

と、誰だって思うはずだ。

どうして、ボクばかりがこんな目にあわなければならないんだ。

はっきり言って――いや、はっきり言わずとも、ボクは――他の誰でもそうだろうけど――『シャーマンとの正しい付き合い方』など、学校でも社会人になってからも、教わっていない。日本人は、こういうシチュエーションに弱いのだ――今まで習ったことがない対処法というか、自分の頭を使って答えを導き出すということが。ただし、ある公式を使って解を出したり、暗記したりすることは得意なのだ――と、どこかの本に書いてあった。ボクは、そのどこかの本に書いてある典型的な日本人で、どちらかというと落ちこぼれぎみな学生生活を過ごし、標準より少し低めの会社で言われたことだけを黙々とこなすパッとしないサラリーマン生活を今までしてきたのだ。そんなボクに、この状況をどうしろというのだ。いっそのこと、シャーマンでなく「われはパーマンなり!」とでも宣言してくれたほうが、まだましだ。

そんなボクの頭の中で起こっているパニックにはお構いなしに、彼は訥々と語り始める。

「私が幼いころ、両親は貧しく、共働きをしても生活は精一杯だった。そこで私はしばらくの間、祖母の下で暮らしていたんだ。ちょうどそのころに、私はシャーマンの教えを祖母から受けた。

祖母はもともとポリネシア系の移民だった。祖先は代々シャーマンであり、祖母もその修行を受けた。そしてその教えは――父や母には引き継がれず――私が受け継いだのだ。

私は、その時はまだ、子どもだったので、あまり深く考えることもなく、その教えを行ってきたのだが、大切なことは――わずか三年くらいであったが――大部分を自分のものにできた、と思う」

「それと彩香を探し出すことが関係している、とジョナサンは言いたいんだね?」

納得はいかなかった。ただ、ジョナサンの話し振りから察すると、そういうことになる。

ジョナサンは深く頷いた。「君にやる気があるならば」

冗談じゃない! 

ボクは心の中で叫び声をあげた。何の因果で、ボクがシャーマンごっこをしなければならないのだ。確かに――よくよく考えてみれば――ボクは今、異常な状況にいる。でも、この状況までは、受・け・と・め・ら・れ・な・い。失踪した彩香を探し出すだけで精一杯だ。だが、ジョナサンは彩香を探し出すためには、シャーマンの修行を受けシャーマンになれ、と言っている。

感情がかなり乱れているのを押さえ、ボクは静かに言った。「ボクがジョナサンからシャーマンの教えを受けている間に、彩香にもしものことがあったら、どうするんだ。ジョナサンが今までボクのためにしてきてくれたことや、今回の申し入れは、ありがたく思うよ。でも、そんなことをしているうちに、彩香がどんどんボクから離れていってしまうような気がするんだ。ボクは、彩香を探し出さなくちゃいけないんだ。約束したんだ、彼女を助けるって」

「どんどん離れていく」ジョナサンは一呼吸置いた。「それは、彼女の居場所が判っているときに使う表現だ、現実的にも精神的にも……。しかし、今の君は、彼女の居場所を認識していない。彼女の居場所を突き止める手立てもない。」

「でも、探し出さなくちゃいけないんだ」

「どこを探すのだね?」

「どこをって……」

この質問には、答えられなかった。

そうだ。どこを探せばいいのか、ボクには当てがないのだ。


 ク

  に

   は

    ……

     当てがない。

哀しいほどに悔しいが、ボクには、当てがないのだ。

あの失踪があった時、彼女の部屋で携帯を見つけた時に、ボクは確証を掴んだつもりでいた――この携帯が手掛かりだ、と。だが、情けないかな、そこからは何も得ることが出来なかった。

だからといって、シャーマンの修行の話を、素直に受け止めるわけにはいかない。第一、それは、常識的ではないからだ。

「なら、ジョナサンがシャーマンの力で、彩香の居場所を探し出してくれないか? アメリカの警察やFBIなんかは、あなたみたいな超能力を持っている人に行方不明になった人たちの捜査協力をよくしているって、日本のテレビで見たことがあるよ」

少し嫌味がかっているけれど、これはうまい返答だ。彼は、シャーマンなのだ。超能力者なのだ。一般人とは無縁のオカルト世界は、その分野の人間に任せておけばいいのだ。かかわると、ややこしくなるに決まっている。

「約束したんじゃないのかい?」ジョナサンは、少し哀しげに、ボクを見つめた。「君が、彩香を助けるって」

それから、大きくため息をついた。「まだ判らないのかい、繋がっているってことが。君が泊まったホテルの名前と彩香の携帯に描かれていたヒエログリフとの関係や、その他に立て続けに起こっている現象について、君は何も感じないのか?」

「ホテルの名前って、オベリスク・ホテルが、どうしたって言うの?」

「オベリスクは、古代エジプトの神殿などに建てられていた神聖なものなのだよ。そして彩香の携帯に書かれていた文字――ヒエログリフ――も古代エジプトで使用されていたものだ」

「それは、単なる偶然だよ」

「この世の中に偶然なんてものはないのだよ、ミスター森岡。偶然のように見える必然はあってもね」

「ジョナサンの理屈だと、ボクがアメリカ行きのジャンボでジョナサンと出会ったのも必然ってことになるの?」

「そう。私たちは出逢うべき時に出逢い、再会すべき時に再会したのさ。そして、私が描いた看板のホテルに君が泊まったということも、そうすべき時だったからなのだよ。あの看板の図柄――ホテルのオーナーであるイブに頼まれて私が描いたホルスの目――も、だ。あの看板とホテル名が別のものだったら、君はあそこには泊まらなかっただろう。だが、あのホテルにあの看板は絶対に必要だったんだ、君があそこに泊まるためにね」

ホルスの目と日の丸をかけ合わせた看板に惹かれて来たのね――という、オベリスク・ホテルでチェックイン時に、イブがボクに言ったことを思い出した。確かにそう言われるとそんな気にもなる。だけど、ジョナサンは、今、明らかに時間の流れを無視した発言をしたのだ。ボクはそれを指摘した。

「ジョナサン、今のジョナサンの言い方は出来事の順序を逆に捉えているよ。ボクが泊まったホテルがエジプト文明とたまたま関係していて、それから、彩香と再会して、彼女がいなくなった。その彼女が持っていた携帯に描かれていた文字がヒエログリフだったんだ。

でもジョナサンは、彩香の携帯に描かれている文字はヒエログリフと、ボクがその時には判っていない事実と、ボクがオベリスク・ホテルに泊まろうと決めた時とが混ざり合っての発想で話をしたんだ」

あらを捜しあてて、ボクは得意になった。

「内心には、時間軸は関係ないのだ。すべては、今この時なのだよ」

まだ言い張るか、このオヤジは!

かなりむきになっていた。でもそれは、後から考えてみると、そんな具合にして、いつの間にか――今この時――というジョナサンのペースに、ボクは魅了されていったのかも知れない。

結局その日の晩は決着がつかず、午前二時を越えたあたりに、ボクたちはベッドに入ることになった。

朝方、ボクは夢をみた。

大きな山々に囲まれた田園には、蝉たちの声が響きわたっていた。木々の緑がかすれあう音。日差しが、眩しかった。せせらぎが輝く雨上がりの小川で、子どもが水遊びをしている。ボクだ。それは、子どもの頃のボクだった。

この風景は、九州のお婆ちゃん家の近所だ。

そうだ、その時ボクは、カエルを捕まえたかったんだ。でも、あの表面のヌルヌルが気持ち悪くて、つかまえることが出来ずにいたんだ。怖くて、ただ見ていただけ。